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石田雄太の閃球眼

育成枠を撤廃せよ

 

“育成”から這い上がり、ホークスの先発の座を勝ち取った石川柊太(左)と甲斐拓也


 パワーカーブといえば、ペドロ・マルティネスか、ホゼ・フェルナンデスか……そんなメジャーの豪腕を彷彿とさせたのが、ホークスの石川柊太が投げるタテに曲がる大きな変化球だった。

 石川のパワーカーブはベルトあたりのストライクゾーンから低めのボールゾーンへ力強く、ググッと曲がってくる。それが高めに来れば、バッターがボールだと思ってしまう高さからストライクゾーンへ落ちてくるので、手を出すことができない。そこでバッターが「そうか、あの高さはストライクになるのか」と今度は目付けを少し高くすると、一転、その高さから落ちてこない、ボール球になるストレートを振らされてしまうことになる。このパターンがハマると、石川はじつに厄介なピッチャーとなる。

 そして、ホークスのマスクをかぶっているのが甲斐拓也だ。肩の強さだけでなく、捕ってからの速さにはもともと定評があったのだが、それにしても速い。その甲斐が肩だけでなく、打席ではホームランまで打って存在感を示すようになってくれば当然、こういう声が聞こえてくる。

 育成の星――そう、石川も甲斐も育成出身の選手なのだ。

 しかし、この“育成の星”というフレーズを聞くと、またか、と思ってしまう。育成選手から這い上がって支配下登録を勝ち取り、一軍に上がって公式戦で活躍すれば、ああ、育成があって良かった、育成というシステムがなければ石川も甲斐もチャンスさえ与えられなかったのだからと、そう思ってしまうのだろう。果たして、そうなのだろうか。

 誤解しないでもらいたいのだが、石川や甲斐、同じホークスの千賀滉大にしても、育成という、ゼロどころかマイナスの立ち位置からスタートしてここまでに至った努力や実力を否定するつもりはまったくない。ただ、そもそも石川や甲斐が育成枠で入団しなければならなかったのはなぜだったのか。そこをもう一度、考えてもらいたいのだ。

 育成選手制度は、球界にとっては妥協の産物だ。70人という支配下選手の上限については、そもそも各球団の資金力によって選手層の厚さに差が出ることや、選手の囲い込みが起こり得ることなどから決められたものだ。しかし2005年、相次いだ社会人チームの廃部を機にアマチュア選手の受け皿を広げるための支配下選手枠の上限撤廃への機運が高まった。ところが、なおも反対を唱える球団があって上限枠は撤廃までは至らず、結果、採り入れられたのが育成選手制度だった。

 育成選手は入団時の契約金はなし、支度金として300万円を受け取り、最低年俸は240万円とされている。選手会に加入することもできず、背番号は3ケタ。一軍の公式戦に出ることはできない。しかも、結局は資金力のある球団が育成選手を大量に獲得するという、一部球団にとって都合のいい制度となってしまっている。

 もし支配下選手枠の上限を撤廃して、育成選手制度をなくしたらどうなるのか。この先、千賀や石川、甲斐のような選手は生まれないのだろうか。そんなことはない。むしろ千賀も石川も甲斐も、どんなに安くても契約金を受け取り、2ケタの背番号をもらって、育成枠などという区別をされずにプロの世界に飛び込めたほうが良かったはずだ。

 3ケタの背番号は監督以外のコーチに譲り、現役の選手が2ケタを背負うことにすれば、0から99まで、各球団は最大100人の選手を支配下選手にできる。プロ野球選手として契約する以上、入団時に2ケタの数字を背番号として与えることは、球団の責任だという気がしてならない。

 残念ながら、“プロ未満、アマ以上”の育成選手は現在、選手のためではなく、球団にとって都合のいいだけのシステムになっている。球団にとっての71番目以降の選手は、別に育成枠でなくとも契約金300万円、年俸は440万円、2ケタの背番号、いつでも一軍の公式戦に出られる支配下選手であっても何ら問題はないはずなのだ。この程度なら球団の金銭的負担が激増するわけでもない。

 だから石川、甲斐を『育成の星』と讃えるのはやめよう。育成制度を持ち上げるのではなく、いったい何のための育成制度だったのか、なぜ支配下選手の上限撤廃ができないのかを、彼らの活躍を機に、今一度、考え直すべきだと思う。
文=石田雄太 写真=BBM
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