2007年9月6日の中日戦でプロ初安打初打点をマークした坂本
打席に入った背番号61の背中が、ひと際大きく見えたという。三塁コーチャーズボックスに立っていた
伊原春樹氏の脳裏をよぎったのは二軍戦での一撃だ。その選手は闘病中の母親を試合に呼び、目の前で見事にホームランをかっ飛ばしていた。
「度胸があるし、何かやってくれるかな」
2007年9月6日の中日戦(ナゴヤドーム)。
巨人が中日、
阪神と三つ巴の優勝争いを繰り広げていた公式戦終盤の戦いだ。1対1の同点のまま延長12回へ。巨人は二死満塁のチャンスを作り、投手の
上原浩治に打席が回った。ベンチにはいたのは
坂本勇人と
加藤健のみ。
原辰徳監督は高卒新人に白羽の矢を立てた。
緊張感漂う場面で坂本は見事に中前にはじき返し、初安打初打点を記録。巨人の高卒新人が安打、打点を記録するのは
松井秀喜以来の快挙だった。あれから10年。坂本は7月9日の阪神戦(甲子園)で右打者史上最速の28歳6カ月で1500安打をマークした。
野球に打ち込んできたことが、その礎となっている。1年目の秋季キャンプ。強化指定選手に選ばれ連日、特打、特守の嵐。当時、体重75キロと線の細かった坂本は、特別にチームが用意した200グラムのステーキを口にした体力アップを図った。オフには
阿部慎之助のグアム自主トレに同行。先輩と寝食をともにして、練習、生活態度まで帝王学をしっかりと叩き込まれた。2年目のキャンプでは
長嶋茂雄終身名誉監督が球場入りすると真っ先に駆け寄り、質問攻めにした。とにかく貪欲だった。
2年目、開幕戦でケガをした二岡に代わりショートのスタメンをつかんだ。4月24日の横浜戦(東京ドーム)では4安打の固め打ち。巨人の十代での4安打も93年の松井以来の快挙だったが、この試合で「もう1本、もう1本という気持ちで打席に入っていますから」とコメントしていたのには恐れ入った。
伊原氏は「若いころから何を言われても気にしないメンタルの強さを持っていた」と証言する。やはり特に巨人で若手がブレークするには真摯に野球と向き合うことはもちろん、何事にも動じない強心臓がなければいけないのだと思う。
文=小林光男 写真=BBM