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プロ野球回顧録

アキレス腱断裂後、本塁打狙いの打撃を貫いた門田博光

 

アキレス腱の断裂から復帰後、本塁打狙いの打撃を貫いた門田


 左アキレス腱の断裂から復帰した阪神西岡剛が存在感を示している。ロッテ時代の2005年、06年には盗塁王を獲得するなど、かつてスピードスターと呼ばれた男。左足の大ケガにより、快足を失うのは致し方ないと周囲は思うが、「再び走れる選手になる」と勇ましい。

 西岡とは真逆にアキレス腱の断裂後、「走れないならホームランを打てばいい」と方向転換したのが南海・門田博光だ。足も速く、ライト守備も一流だった門田が右アキレス腱を断裂したのは1979年2月16日、キャンプ中のことだった。このとき31歳。門田は自著で「一度、死んだ日」と表現しているが、そのどん底から、まさに不死鳥のごとく蘇生する。

「病院の先生が『ゆっくり走れるようにホームランを打ったらいいじゃないか。1打席に1球、真ん中のボールがあったらホームラン打てるんでしょ』と。『いい形とミートさえ持っていければ』と言うと、『そういう形とミートを作り上げたらいいじゃないですか』、です。野球以外の人生哲学から野球哲学を教えられました」

 そこから、ただただ本塁打を追い求める打撃論を構築した。

 晩年にはある男から本塁打を打つことに執念を燃やした。42歳となっていた1990年、前年からオリックスに移籍していた門田は、その年にプロ入りを果たした近鉄・野茂英雄に狙いを定めたのだ。ドラフトで史上最多の8球団が競合した黄金ルーキー。フォークではなく、トルネード投法からの剛速球に標準を絞った門田は、ゴルフ場を借りて毎朝、ランニング。もっとも軽い920グラムのバットを野茂専用に用意して、ひたすら「イチ、ニ、サン!」の素振りを繰り返した。

 そして迎えた4月18日、日生球場での近鉄戦。門田はチームメートに、「野茂からホームランを打つな」と言っていた。野茂から公式戦1号を打つのは俺だ、と思っていたからだ。2回表、プロ21年目の大砲と、新人右腕の初対決。21歳の投じた初球は、門田のひと振りによって、右翼スタンドへと吸い込まれていった。

 門田は翌91年、ダイエーとなった古巣に復帰し、92年限りで現役引退。最後の打席で対戦したのは、その野茂だった。野茂は3球続けて渾身のストレート。門田は3球続けての豪快な空振りで、その打撃人生に幕を下ろした。

写真=BBM
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