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沢村栄治「栄光の伝説」/生誕100年記念企画その14

【沢村栄治 栄光の伝説(14)】巨人が日本プロ野球公式戦で初優勝

 

2017年は元巨人沢村栄治が生誕100周年の記念すべき年だ。大リーグ選抜相手に8回1失点と好投した偉業は、今なお伝説として残る。戦火に散った大投手の野球人生とは――。

初代日本一となった巨人ナイン。中央で旗を持っているのが沢村


 1936年12月11日、日本プロ野球初の年度優勝を決める最後の戦いが幕を開けた。

 巨人、タイガースは、ここまで1勝1敗。巨人の責任投手は、いずれも沢村栄治だった。

 このとき巨人は決戦に備え、日本橋の布袋屋という旅館を本拠とし、独身者はそのまま泊まっていた。このとき陣中見舞いに行ったという、本社の顧問でもあった関三穂さん(故人)が『週刊ベースボール』に寄稿した記事があったので、一部を引用しよう。関さんは『野球界』、『ベースボールマガジン』の編集長を歴任され、多くの著作も残しているプロ野球ジャーナリストの草分け的人物の1人だ。

 沢村はどんな様子か会っておこうと、昼前旅館を訪れた。行ってみると沢村は、何の飾りもない部屋に、一人しょんぼりといった形で座っていた。「昨夜は肩が痛くて眠れず、馬肉で冷やしてもらってやっと眠れた。今日は大丈夫です」と、決然とした口調で話してくれた。

 連投続きで、かなりひどい肩痛を抱えていたことが分かる。馬肉は、あてておくと熱を取るので昔は炎症などの際、重宝された。もちろん、それなりに財力がなければ、もったいなくてできない。布袋屋の主人は、巨人のいわゆるタニマチだったようだ。

 小雨模様の中でスタートした試合は、巨人の先発が前川八郎、タイガースが中1日で景浦将。先手を奪ったのはタイガースだった。2回表、伊賀上良平の右中間二塁打で2点。対して巨人は、4回裏にタイガースの守備の乱れもあって4点を取り、逆転し、5回表のマウンドに立ったのが、沢村だった。

 タイガースは投手を若林忠志に代え、景浦は、そのまま三塁へ回し、“バット”に期待をかけた。沢村、若林の息詰まるような投手戦が動いたのは、8回表だ。タイガースの四番・小島利男が沢村からレフト前、打席には初戦で沢村から3ラン本塁打を放った景浦が入った。

 ここでいま風に書くなら、“沢村のギア”が上がった。

 初球、まずは大きなドロップ(ブレーキが効いたタテの大きなカーブ)で見逃しのストライク。その後一転、浮かび上がるような快速球2球で3球三振とした。

 9回表、最後の打者、代打・門前真佐人を三振に打ち取り、4対2のままゲームセット。正式なペナントレースとは言えないが、巨人は公式戦初の日本一に輝いた。辛口で知られた評論家・大井廣介が「この3連戦が、もしこれほど張りつめたものでなかったら、プロ野球はつまずいていたかもしれない」と言うほど、緊張に満ちたものだった。

 観客は内野席924人、外野席6415人。入場料収入は4161円だったという。

<次回へ続く>

写真=BBM
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