2012年に大阪桐蔭高を春夏連覇に導いた藤浪。当時は投手として大谷をも上回る存在だった
「投手としての大谷はまだ完成し切っていなかった。バラバラの部分がありましたね。でも、藤浪に関してはすごくでき上がっている感じがありました。もちろん、今でも進化を続けていると思うんですけど」
昨季のベストナイン捕手の証言である。「僕が言うのもなんですけど」と言いながら、
田村龍弘(
ロッテ)は高校時代に見た同級生でもある2人の“怪物”について、当時の印象を語ってくれた。田村は光星学院高(現・八戸学院光星高)時代、幼いころからの盟友・
北條史也(現・
阪神)とともに、2012年春夏の甲子園決勝で
藤浪晋太郎(現・阪神)率いる大阪桐蔭高の前に屈し、二度涙をのんでいる。
大谷翔平(花巻東高、現・
日本ハム)と藤浪晋太郎。高校時代の2人の怪物をさまざまな角度から比較する中で、唯一、カギを握った存在として第三者の名前があがった。大阪桐蔭高で藤浪のボールを受けていた1学年下の
森友哉(現・
西武)である。
「(当時の藤浪のすごさは)変化球も含めたボールのキレがすごかったですけど、まず150キロを超えるボールを投げられるっていうのが一番の武器でしたね。そこにしっかりしたキャッチャーがいたので。ワンバウンドしてしまったときとかも含めて、藤浪はキャッチャーに気を遣うことなく思い切って投げることができた。大谷もボールはすごかったですけど、その点では藤浪と違ったかもしれない」
“怪物”が持てる力をフルに発揮することができたか。そういった意味で、森の存在は藤浪にとって大きなものだった。そして、“捕手・森”は、未来のベストナイン捕手が当時から一目置く存在だったのである。
ちなみに田村と北條、藤浪、森はいずれも大阪出身。ボーイズ・リーグのときから互いを意識する存在であり、昔から誰よりも互いをよく知る存在だったということを付け加えておきたい。
取材時、今は阪神でチームメートとなっている藤浪と北條は、二軍暮らしを余儀なくされていた。田村は「(藤浪は)やっぱり心配ですよね。同級生ですから」とつぶやき、幼なじみの北條については「あいつも二軍やもんな!」と、愛情と激励が込められていたであろう言葉を放った。
2012年の甲子園を沸かせた未来のプロたちだが、今季はいずれも苦闘が続いている。世代を代表する顔となった大谷は故障に苦しみ、さらなる飛躍を期した藤浪と北條も壁にぶち当たっている。田村自身も、一度はつかんだレギュラーの座が揺らぎつつある。
しかし、田村が取材の最後に藤浪へ贈った言葉を聞けば、“大谷&藤浪世代”の逆襲の時が間もなく訪れるであろうことを予感できるはずだ。
「あいつのことやから、すぐに這い上がってくるでしょ!」
文=杉浦多夢 写真=BBM