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プロ野球回顧録

谷元圭介の緊急移籍で思い出す 巨人の左腕リリーバー

 

日本ハム移籍後は主に先発として投げた角


 移籍期限ぎりぎりの駆け込みトレードだった。7月31日、中日が日本ハム・谷元圭介投手(32歳)の金銭トレードでの獲得を発表。前日の30日、福岡のヤフオクドームでのソフトバンク戦を終え、東京ドームでの同カードのために21時過ぎに羽田空港着。そこでマネジャーから告げられたという。

 翌31日は会見のため新幹線で名古屋へ行った後、東京にトンボ返りし、東京ドームで日本ハム関係者にあいさつ。今度は北海道に戻って荷物をまとめてからの合流となるようだ。何ともあわただしいスケジュールである。

 過去には1989年の巨人でも同様の駆け込みトレードがあった。角盈男だ。78年に巨人へ入団し、1年目から先発、リリーフでフル回転し、新人王にも輝いた左腕だ。その後、やや伸び悩んだが、79年オフの伊東キャンプでサイドにしてから完全覚醒。快速球リリーバーとして長嶋茂雄監督、藤田元司監督、王貞治監督時代のチームで活躍した。変則フォームから投げ込む快速球は、81年当時、助監督だった王をして「左打者で、あの球は打てない」と言わしめたほどだった。

 しかし、継投を重視した王監督退任後、89年に藤田監督が復帰すると、今度は「先発完投」を軸に投手陣を組み立て直し、角の出番は激減した。

 移籍を告げられたのは、同年6月29日、遠征先の広島。当時は6月30日が移籍期限となっていた。当時のやり取りを小社刊行『巨人80年史』に掲載されたブルペンの盟友・鹿取義隆現巨人GMとの対談記事から抜粋する。

「お昼にマネジャーが『監督室に来てくれ』と。この時期に、まさか移籍と思ったら『日本ハムにトレードはどうだ。近藤(貞雄)監督が先発として使いたいと言っている』。当時は斎藤雅樹槙原寛己桑田真澄が先発完投しているときで、自分の居場所がなくなってきたときだった。それで了承し、『一度東京に帰らせてください』とお願いすると、マネジャーが『報道陣にばれるからそれはダメだ』と。そうしたら即座に藤田さんが『角の好きなようにさせてやれ!』ってね。俺はそれを聞いて、かっこいいと思ったんだよね。藤田さんには再就職先を探してくれたと感謝している」

 角は同年15試合に登板し、3勝4敗、2完投もあった。なお、当時の日本ハムの本拠地は巨人と同じ東京ドーム。ロッカールームで、巨人時代に使っていたジュースの自販機に行こうとすると、「角さん、それ巨人のものなので」と止められたと笑っていた。

写真=BBM
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