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プロ野球デキゴトロジー/8月4日

横浜と中日が大好きなロングゲーム?【1990年8月4日】

 

パチョレックのヒーローインタビューを見守るは7198人。時計は午前0時12分だ


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月4日だ。

「長い試合が好きなんだな……」

 これは中日森繁和監督が苦笑いしながら語った試合後のコメントだ。2017年8月2日、横浜スタジアムでのDeNA-中日戦は、1回裏の開始直前に雨で51分間の中断があり、かつ試合自体も延長12回までもつれ込んでの4対4の引き分け。中断を含めれば、ゲームセットまで4時間45分が過ぎていた。

 この時期のロングゲームといえば、1990年8月4日、午後6時20分開始の同カード、しかも同じ横浜スタジアムでの試合が思い出される。試合終了は翌5日の午前零時11分、史上2度目の日付が変わる一戦であり、5時間51分の試合時間は、当時の最長時間だった。

 予感は……なかった。5対2と横浜大洋(現DeNA)リードで7回を終え、このまますんなり終わるのではと思ったが、8回表、中日・落合博満斉藤明夫から3ランを放ち、振り出しに戻る。以後、一進一退で、そのまま延長戦に突入し、回を重ねていく。

 午後10時30分、球場にウグイス嬢の声が響いた。

「神奈川県青少年保護育成条例により18歳未満の方は午後11時までにお宅に到着するようお帰りください」

 その後、スクリーンにはJRと地下鉄の終電時間が映し出された。試合は両軍無得点、こう着状態ながら、それなりに盛り上がっていたが、さすがに日付が変わるころには客席もすっかりまばらになった。

 最後の最後、15回裏、横浜大洋の代打・田代富雄がライト前で一死満塁とした後、パチョレックがレフトにサヨナラ打。これが8打席目で、この日は3ラン、2ランもあり、1人で全6打点を挙げた。律儀にもヒーローインタビューも行われ、パチョレックはやや疲れた顔を見せながらも「もう、あそこはフライ(犠飛)を打つことしか考えてなかったよ」と語った。すでに地下鉄の終電は過ぎ、JRの東京行きもなくなっていた……。

 実は、89年までは12回制だったが、暮れのセ・リーグ理事会で「延長回数、時間とも無制限として引き分けをなくす」方針を決めた。ところが90年1月になって警視庁から「試合が長時間になると防犯や交通面から問題が多い」とストップがかかり、次に18回制も挙がったが、最終的には開幕の2日前、4月2日に「延長15回、引き分けは再試合」と決まった。

 横浜大洋・須藤豊監督は「やってる身になってみろと言いたいね。お客さんもいないし、肝心なところは見てなかったでしょう」と勝利にもかかわらず、不機嫌そう。それもそうかもしれない。延長15回制を実際に戦ったのは5月2日の広島-横浜大洋戦(広島市民)と今回の2回だけ。つまり須藤監督は、ただ1人、2試合を経験した指揮官となる。2日の試合も従来の記録を抜く5時間24分のロングゲームだった。

写真=BBM
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