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2017甲子園リポート

済美・田坂部長の脳裏に浮かんだ“上甲スマイル”

 

済美・田坂部長(右端、中央は中矢監督)は勝利の校歌を聞き感慨深い表情を見せた


 2004年春のセンバツ初出場初優勝メンバーだった田坂僚馬部長は「責任教師」として、初めてのベンチ入りに興奮を隠せなかった。

 済美(愛媛)は安楽智大(現楽天)が2年生エースだった2013年夏以来の甲子園出場。

「もう少しかかるだろうと思ったので、個人的には感慨深いものがあります。(この4年間)良いことはあまりなかった。苦労した分、生徒たちも報われた」(田坂部長)

 2014年8月初旬に部内の不祥事が発覚すると、日本学生野球協会の審査室会議で1年間の対外試合禁止処分(翌春のセンバツと、翌夏の選手権出場が絶望)。その決定が下される直前、9月2日に済美野球部の生みの親である上甲正典監督が死去。2002年の創部以来、済美野球部は最大のピンチに立たされていた。

「済美と言ったら『上甲監督の旗』が揚がった学校。生徒募集にも影響が出ました。監督の名前で入学を希望してきた生徒もいましたので……」(田坂部長)

 2014年、現在の3年生はちょうど中学3年だった。

「不祥事があったりで勧誘しづらかった部分はある。それでも選んできてくれた3年生は覚悟を持ってきてくれた。だからこそ、甲子園に連れていってあげたかった」(田坂部長)

 昨秋の新チームから済美を率いるのは中矢太監督。上甲元監督の下では部長としてチームを支えた。

「2004年の全国優勝のときのように、夢のある打線を組みたい」

 四国大会4強でセンバツまであと一歩で終わった昨秋以降はとにかく、バットを振った。1.1キロのマスコットバットで500本こなすこともあったという。

「監督が変わっても、済美の野球というのは泥臭く、男らしく、最後まであきらめない終盤の粘り強さ。野球部が続いていく限り、ずっと追求していきたい」

 東筑との1回戦は2対0の4回表に逆転を許し、4回裏の済美の攻撃途中に激しい雨で75分の中断。再開した5回表、さらに追加点を奪われるが、2点を追う5回裏に犠飛と橋本の3ランで勝ち越しに成功。6回裏にも亀岡の2ランが飛び出しリードを広げて、逃げ切った。

 見事な逆転勝ち。伝統の強打が機能して初戦突破(10対4)。田坂部長は一塁ベンチ前で4年ぶりの勝利の校歌に感激していた。

 さて、かつてコーチだった田坂部長は4年ぶりの甲子園が決まると、初めて作成する甲子園関連の書類作成作業に追われた。とはいえ、一刻も早く、報告しなければならない場所があった。

「ようやく時間ができたのが翌日の深夜。こっそりと手を合わせてきました。『甲子園に戻ります』と」

 上甲元監督は普段の練習ではとにかく、厳しかった。一転して、甲子園では選手をノビノビとプレーさせる。天国で見守る恩師へ、4年ぶりの白星を送り届けた田坂部長の脳裏には「上甲スマイル」が浮かんできたに違いない。

文=岡本朋祐 写真=BBM
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