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パンチ佐藤の漢の背中!

【パンチ佐藤が直撃】教壇に立つ元楽天・西谷尚徳 (後編)

 

『ベースボールマガジン』で連載しているプロ野球選手の第2の人生応援プロジェクト「パンチ佐藤の漢の背中」。現役を引退してから別の仕事で頑張っている元プロ野球選手の下をパンチさんが訪ね、お話をうかがってまいります! 今回は講師として教壇に立つ、元楽天西谷尚徳さんです。

暴走キャプテンvs.まとめ役キャプテン?


立正大では教育学を専門としている西谷さん(左)


 明大時代は1年春のリーグ戦で打率.417(リーグ2位)を記録し、ベストナインを受賞。4年時にはキャプテンを務め、春、秋ともにベストナインに輝いた。同年の日米大学野球でもキャプテンとして活躍。楽天球団初のドラフトで、4巡目指名を受けた。

 明大在学時は、2人部屋の寮生活。しかもキャプテンともなれば、明大名物のトイレ掃除に始まり、息をつく暇もないはず。学生生活を思い起こしたパンチさん、“文武両道”の秘訣から切り込んだ。

◇ ◇ ◇

パンチ しかしこうやって話していてさ、明治の土の匂いがしないよね。なんで明治を選んだの?

西谷 六大学に行きたかったんですが、受けられるのが明治しかなかったんです。捨て身で……人生を賭けて、セレクションに行きました。

パンチ よく明治のキツイ練習と教職の勉強を両立したね。どうやって寮の2人部屋で勉強したの?

西谷 部屋ではあまり勉強していないですよ。練習が午後3時半くらいにいったん切られるので、そこで上がってお風呂、食事を済ませて、5時半から10時まで御茶ノ水の校舎に行っていました。

パンチ 夜勉強をして、朝になったら新鮮な気持ちでスパンと野球に切り替える。それが打席での集中力も生むのかな?

西谷 勉強と野球をぶった切って、違う世界、というふうに割り切ってできれば、言い訳をしなくなりますよね。勉強が大変だとか、野球で疲れているとか、どちらに対しても言い訳をつけられなくなるので。

パンチ 4年生のときはキャプテンまでやったそうだね。自分では言いづらいかもしれないけど、どういう部分で選ばれたんだと思う? ちなみに僕の場合は、暴走キャプテンでね(笑)。本当は監督、阿波野(秀幸=現巨人三軍投手コーチ)をキャプテンにしたかったんだけど、エースで神経を使うから、お前がやれ、と。チームをまとめようとか、そんなことは考えなくていいから、100人の部員の中でユニフォームを一番真っ黒にしておけ。それでチームに活気がないときは、お前をぶっ飛ばす。だけど憎くて殴るわけじゃないからな、と言われてね。

西谷 私は真逆で、「まとめてくれ」という感じでした。

パンチ 大学ジャパンのキャプテンまでやったんでしょ。じゃあ、染みついていたのかな。

西谷 どうなんでしょう……。ただ、大学ジャパンで他の大学のキャプテンたちもまとめるにあたって、ミーティングではかなりしっかりしゃべっていたらしく、「やっぱり違うね」とは言ってもらいました。

パンチ そして、楽天から指名を受けたわけだ。

西谷 はい、もちろんプロという夢を持って野球をしてきましたが、やはり球界再編があったおかげだと思います。

パンチ 楽天球団創設1年目のルーキーだったこと自体、めったにない経験だよね。そのあたりでの思い出はある?

西谷 はじめ、背番号10をいただける予定だったんです。それが“ファンの背番号”に決まったため、6番に変わりました。「あ、6番でいいんですか?」って、それが最初の衝撃でした。あとは、契約というものについて、いろいろ考えさせられたこととか。プレーの面では、ケガが多かったので、それを治すというよりも、どうやってケガと付き合いながら活躍につなげるステップを踏んでいくか、そればかり考えていました。プレーした時間自体が少なかったので、そんな思い出ばかりです。

パンチ プロ野球への夢は、いつごろから持っていたの?

西谷 小学1年に野球を始めたときです。パンチさんにあこがれて……。

パンチ いやいやいや(笑)。本当は誰だったの?

西谷 大島(公一)さんでした(笑)。楽天に入って、じかにキャッチボールをしましたが、一連の動作が流れるようなんです。これはできない、と思いました。

パンチ 僕もやっぱりオリックスの外野陣を見て、もうレギュラーはダメだ、と思った。ピンチヒッターならなんとかやれると思ったけど……。ダッシュするときも、よーいドン!をしてから、みんなグーンとスピードを上げていくんじゃないんだよ。ドンのときにはパッと僕より一歩先に出てる。その差で外野手は捕れるものも捕れないからね。それで西谷君の場合は、なんとか食らいつくためにどんな方向で勝負しようと思ったんですか?

西谷 ダメな部分を洗い出して、それを克服していけなければいけないと思いました。いいものを伸ばそうという発想にはならなかったですね。例えばバントがヘタクソだったんですよ。それで、バントをほぼ極めました。少なくとも、楽天の二軍の中では一番でした。走塁も下手だったので、いろいろな方に聞きに行って、ゼロから学びました。

現役バリバリのうちから引退後のことを考えて


楽天では一軍通算16試合に出場し、50打数12安打、打率.240


パンチ そういう勉強方法が染みついているんだね。だから、今の仕事も天職なんだ。僕なんか貧乏に育ったものだから、何を食ってもうまいんだよ。それで、「パンチに食わせたら、なんでもおいしそうに食うよ」って言われて、グルメレポーターになった。僕も天職かもしれない(笑)。しかし、「長所を伸ばしていけばいいじゃん」と頑なに言って、ダメになっていくケースもあるよね。弱点を克服できた強さは、何だったんだろう?

西谷 やっぱり「できない自分、失敗する自分は嫌」って、それだけだと思います。夜な夜な室内(練習場)のマシン打撃で、足元に丸を作って、そこに10個入れる練習をしました。全部入れるまで、3時間バントし続けたこともありましたよ。

パンチ 自分はそうやってきた。苦手も克服できないわけじゃないって思うじゃない。それを、どうやって今の学生に伝えましょうかね?

西谷 私も教員になった当初は、それを伝えたいと思っていたんです。そもそも本格的に教員を目指したきっかけも、自分が野球の中でやってきたことを落とし込んで伝えたいという気持ちがあったんですが、今はちょっと違っていて……。確かに小中学生なら、「自分はこうやってきたから、こうするのがいいよ」と話します。でも高校生、大学生相手には「君はどうやっているの? 僕はこんなやり方でやってきた」という話し方をしたほうがいいかなと思っています。自分に自信がないわけではないですが、自分がやっていたことは、あくまでも一手法。学生自身の手法もあるので、もし私の手法でやってみたいと言ったら、「じゃあ一緒にやってみよう」という形です。

パンチ いずれ引退を迎えるプロ野球選手たちに“セカンドキャリアの先輩”として、どんな言葉を送りたいですか?

西谷 今すぐに、引退した後のことを考えてください、と言いたいです。いくら今現役で活躍していても、引退したら何をしますか、と。

パンチ みんな、考えていないよね。

西谷 もし分からない、そんなの引退してから考えるよと言うとしたら、私はちょっと違うなと思うんです。

パンチ 僕は25歳でプロに入ったとき、親父に「5年間だけやらせてくれ。30になったら、白黒はっきりするから」って言ったんだ。そのとき一軍に定着していればいいけど、一軍半だったらダメ。それで30になったとき、『パンチ企画』を作って、熊谷組から下請け孫請けひ孫請けでも仕事をもらってやっていこうと思ってた。そうしたら、引退してすぐテレビの仕事が入って、ひとまずその年の12月31日までは、お遊びでもスタジオに行けば当時は現金でギャラをもらえた。ただ、「こんなもんは続かないだろうな」と思っていたから、翌年の1月1日からは予定どおり『パンチ企画』を開こうと思っていたら、あるプロデューサーさんに「パンチ、これは遊びなのか、勝負するのか、どっちなんだ?」って言われて。せっかくいい風が吹いているんだから、やる気があるなら行くところまで行っちゃえ、と思って今、23年。

西谷 私からするとパンチさん、勝負師ですよ。私だったら「さあ、どっちだ?」って、かなり考えてしまいます。なかなか「じゃあ、勝負をかけてみよう」とはならないと思います。そういう性格がいいのか悪いのかは分からないですけど。

パンチ でも、今こうなっているんだから、よかったんだね。

西谷 はい、よかったと思います。おかげさまで。

パンチ 大学の教員になって今、5年目だっけ? 最初の卒業生が社会人1年目になるのかな?

西谷“教え子”と呼べる学生は、今年(の学生)からですね。

パンチ そうなんだ。その子たちが1周したら、面白いね。大学を巣立って社会人になった教え子たちと一緒に酒を酌み交わせたらいいね。

西谷 はい、でもこの立場になってからは、卒業した学生にいつか「アイツは大したことなかった」って思ってもらえるのがいいのかもしれないな、と思っています。

パンチ いいねえ、これからも教壇での活躍、楽しみにしています!

パンチの取材後記


 この対談のちょうど前日、ある会社の社長さんと食事に行きました。そこで聞いたのは、今の若者(の一部と信じたいのですが)は遅刻も休むも辞めるもLINEで連絡、という話。もともと日本人は自分の意見を発言したり、人を説得したりといったことが下手な人種だけれども、特に今の若者は、LINEなんかに頼って言葉のキャッチボールができない若者が増えている。そんな中、西谷君は、社会に出てきちっとした言葉を使える日本人を一人でも多く育ててほしい、という理由で神様から呼ばれたんだなと思いましたね。

 僕が『一日一膳』というブログをやっているのは、「こういう世の中だけど、一日一食ぐらいはビシッとしたものを食べようぜ」「食に対して興味を持とうよ」という意味があるんです。メシを食べないで腹が減っていると、いいことを考えられない。お腹いっぱいだと悪いことをしないんだ、が僕の持論。それをグルメレポーター、旅番組、講演活動などで訴え続けているわけです。僕も今の仕事は天職なんだなあって思いますが、西谷君もまさしくそうですね。よかった、よかった。

●西谷尚徳(にしたに・ひさのり)
1982年5月6日生まれ。埼玉県出身。鷲宮高から明大に進み、1年春から東京六大学リーグ2位の打率.417を残し、二塁手のベストナインを受賞。主将に就任した4年も春秋と連続ベストナイン。新球団・楽天からドラフト4巡目指名を受け、2005年に入団。背番号6を背負う。09年限りで退団し、10年は阪神と育成契約も同年限りで現役引退。プロ通算成績は16試合出場、打率.240(50打数12安打)、0本塁打、7打点、1盗塁。現在は立正大学法学部専任講師。

●パンチ佐藤(ぱんち・さとう)
本名・佐藤和弘。1964年12月3日生まれ。神奈川県出身。武相高、亜大、熊谷組を経てドラフト1位で90年オリックスに入団。94年に登録名をニックネームとして定着していた「パンチ」に変更し、その年限りで現役引退。現在はタレントとして幅広い分野で活躍中。山形県南陽市のラーメン大使。

構成=前田恵 写真=BBM
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