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2017甲子園リポート

日本文理・大井監督、集大成の夏に1勝

 

今夏限りで勇退する日本文理・大井監督は初戦突破を果たした


 甲子園一塁側の室内練習場は、思い出話に花が咲いた。
 
 鳴門渦潮との1回戦を控えた試合前取材。通常、各監督は相手校の分析、自身のチーム状況などを話すものだが、日本文理・大井道夫監督の場合は大きく異なった。

 取材時間10分の8割以上が、今夏限りでの「勇退」に当たっての関連質問が矢継ぎ早に飛んだ。大井監督は報道陣の問いかけに、一つひとつ丁寧に対応した。

 宇都宮工(栃木)のエースとして1959年夏の甲子園準優勝。早大、社会人でプレーしその後、指導者の道へと進むが1986年、赴任したのは縁もゆかりもない新潟だった。

「監督として来たわけではない。野球部の人づくり。人材育成。2年間、お願いしますという話でしたが、気づけば32年が経過しました。当時の理事長が『生徒を見捨てないでください』と」

 就任当初は野球部員は9人ほど。「ボールもまともにない。あったのはプロテクター一つ」。何もないところからスタートし、ベンチ、本部室、ケージも父兄の協力により作られた。「ご褒美で学校からもらったのはマシン1台だけですよ」と苦笑い。周囲のサポートと地道な指導を続け、全国レベルの野球部へと鍛え上げた。

「死んだ女房に苦労をかけた。いなければ続けられなかった」

 野球を教えることもよりも大事なことがある。高校野球とは?

「教育の一環ではなくて、教育そのもの。人間と人間の結びつき、気配り、あいさつ」

 思い出の試合? 聞くまでもないが、確認は大事である。

「皆さん分かるように、あれだよね」

 2009年夏、中京大中京との甲子園決勝。6点を追う9回に5点を奪ったがあと一歩及ばず準優勝(9対10)。あの粘りの攻撃は、いまもなお、名勝負として語り継がれている。

「ああいうのがきっかけで、みんなでつないでいく意識が強くなった。伝統になりつつある」

 今夏限りでユニフォームを脱ぐが「甲子園で終われる。こんな幸せなことはない。運の良い男だと思う」。感慨深い言葉を並べたが当然、今回も勝負しにきている。

 鳴門渦潮との1回戦は9対5で快勝した。「この子どもたちと野球をやれるのは幸せ」。大井監督の言葉を、2ランを放った主将・笠原遥也(3年)に伝えると「監督と1日でも長い夏を過ごしたい」と気持ちを込めて話した。

「ウチの目標は全国制覇。それに向かってやるしかない」(大井監督)

 2回戦は早大の後輩・佐々木順一朗監督が率いる仙台育英だ。

「8月5日に関西稲門会主催の激励会がありまして、佐々木監督が『一つ勝って大井監督とやるのが夢です』と(笑)。力は育英のほうが上。何とか食らい付いていきたい」

 頂点まで5勝。日本文理の夏、大井監督の集大成の夏はまだ、始まったばかりだ。

文=岡本朋祐 写真=石井愛子
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