中央が梨田監督。ふだんは温厚ながら実はカッとしやすい一面もあった
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月14日だ。
近鉄、
日本ハム監督時代同様、「2年目V」のジンクス実現へ向けひた走る
楽天・
梨田昌孝監督。いまではジョークが好きなオジちゃん監督としか認知されていないかもしれないが、近鉄での現役時代後半、NHKでのキャスター時代と、甘いマスクで「マダムキラー」(死語?)と言われ、大人気。オールスターでもファン投票1位の常連で、1981、82年はセ・パの全ポジションでの最多ファン投票を獲得している。
2000年、近鉄監督となったときも魅力は健在。同じく女性人気が高かったコーチの
真弓明信、
小林繁と3人で「男前三人衆」とキャッチフレーズがつけられ、タキシード姿で近鉄百貨店のポスターになったこともあった。
したがって、このときの『週べ』の記事も見出しは「男前でも怒ります」となるわけだ。
2002年8月14日の
オリックス戦(神戸)。2対0と近鉄がリードして迎えた8回裏、無死一塁でオリックスの
セギノールの当たりは、おあつらえ向きのショートゴロで併殺と思ったが、杉本一塁塁審のジャッジはセーフ。飛び出してきた梨田監督が「なぜだ」と杉本塁審の胸を突き、梨田監督にとって選手時代も通し、プロ生活で初の退場、さらに1試合の出場停止処分となった。
試合は2対0のまま近鉄の勝利。この時点で近鉄は、大差をつけられながらも2位だったが、1日の移動日の後の16日、真弓ヘッドコーチが監督代行として首位・
西武に挑んだ試合(西武ドーム)は、大乱戦となる。
近鉄自慢のいてまえ打線は、西武の先発・
松坂大輔を早々にKOし、2回時点で9対0とリード。しかし、そこから西武打線が逆襲。終わってみれば、10対12の大逆転負けとなり、西武にマジックが点灯した。待機していた立川のホテルでナインを出迎えようと一度はロビーに現れた梨田監督も、「そんな雰囲気ではなくなったね」と、さびしそうに自分の部屋に引き揚げた。
結局、西武は独走で優勝。前年王者の近鉄は2位に終わった。
写真=BBM}