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沢村栄治「栄光の伝説」/生誕100年記念企画その17

【沢村栄治 栄光の伝説(17)】酒仙投手・西村に敗れて……

 

通算55勝21敗。西村には武勇伝も多くの残る


 1937年春季優勝の巨人だったが、秋季リーグは、エース・沢村栄治が9勝6敗と思わぬ不振に陥ったこともあり、2位に終わり、宿敵タイガースが優勝した、(タイガースが全49試合、巨人は全48試合)。

 タイガース優勝の原動力は、打では打率.333で首位打者となった景浦将、投では15勝3敗、防御率1.48で最多勝&最優秀防御率に輝いた西村幸生だった。

 特に、西村は秋季リーグの対巨人戦7勝のうち1人で5勝。まさに初代巨人キラーと呼ぶべき男だった。

 沢村と同じ宇治山田の出身だが、沢村より7歳上なので、ほとんど交流はなかったという。のち関大のエースとして名を馳せ、37年タイガースに入団。反骨心旺盛で、特に対巨人には燃えに燃えた。酒での武勇伝も多く、“酒仙投手”の異名も取っている。

 秋季リーグの後、2度目の年度優勝決定戦は、まず東京で行われ、タイガースが4対1、7対4で2勝。ともに沢村を攻略しての勝利だった。

 その後、3戦、4戦の会場・甲子園に向かう移動列車は、両軍が呉越同舟。こんな逸話もある。

 巨人の藤本定義監督と水原茂主将が列車の食堂車に入っていくと、テーブルに酒徳利を並べていた西村が、わざとらしく、「ああ、巨人の野郎どもは、負けて決まりが悪いのか、誰も入ってこんなあ」と大声で言い、その後、初めて2人に気づいたふうを装い、「やあ、これはご両人、こちらは祝い酒ですが、そちらは何酒ですか」と言い放った。これには、さすがの藤本、水原も黙って食堂車を引き揚げるしかなかったという。

 甲子園では1勝1敗。最後は、ふたたび後楽園に戻っての5戦目は巨人が11対5と勝ち、2勝3敗と盛り返した。

 迎えた6戦目は沢村、西村の先発となったが、沢村が出足につかまり、3対6で敗戦。タイガースが年度優勝を手にした。西村はうち3完投勝利を飾っている。

 敗戦が決まった夜、巨人ナインは、すき焼きを食べながらの慰労会となったが、そこで珍しく酒に酔った沢村は、だれかれとなく謝り始め、「軍隊から帰ってきたら。もう一度、無安打無得点試合(ノーヒットノーラン)をやるから」とも言っていた。

 日中戦争は、徐々に泥沼にはまり、沢村もすでに38年1月10日、三重県津市歩兵第三十三連隊へ入営が決まっていたのだ。

 なお秋のMVPは、なぜか3位チーム、イーグルスのバッキー・ハリス。さらに2季連続最優秀防御率でふたたび優勝に貢献した38年春は、5位チーム、東京セネタースの苅田久徳だった。

 自由奔放な生活態度が一部から反感を買っていたためともウワサされたが、西村自身は「余計な心配はいらない。俺は巨人に勝てば気が晴れるんだ」と言っていたという。

 西村は39年、「一番惜しまれてやめるのが男の生き方だ」と、突如タイガースを退団。その後、44年3月に応召し、45年4月、フィリピンで戦死した。

 沢村と西村の胸像は、いまも2人の故郷、宇治山田にある伊勢倉田山公園野球場(現ダイムスタジアム伊勢)の前に並んでいる。

<次回へ続く>

写真=BBM
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