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日本人記者も多くの恩恵を受けた女性野球記者とは?

 

野球記者最大の名誉であるJ・G・テイラー・スピンクアワードを女性記者として初受賞したクレア・スミス女史彼女の野球界における功績は多大だ


 先日、クーパーズ・タウンでクレア・スミス女史が「J・G・テイラー・スピンクアワード」を授けられた。野球記者にとって最大の名誉である。この賞は1962年に始まり、今回の選出が68人目。女性では初、アフリカン・アメリカンとしては4人目である。 

 スミスは女性野球記者のパイオニアである。83年、コネチカット州の地方紙で、ヤンキースの担当記者になった。女性で初のフルタイムの番記者だった。しかしながら女性が現場に入るのを嫌う当時の関係者の嫌がらせにあい、84年のナ・リーグ優勝決定シリーズで、リグレー・フィールドのビジタークラブハウス(パドレス側)から締め出された。

 就任して間もないピーター・ユベロスMLBコミッショナーが事態を重く見て、新ルールを定め、取材証の発行を得た者は、人種、性別、出身地に関係なく同じアクセスができるよう保証された。21世紀になり、一気に増えた日本人記者たちがこの恩恵を受けているのは言うまでもない。

 スミスは87年までヤンキース担当を勤めたあと、 91年から98年はニューヨークタイムズのコラムニスト、その後フィラデルフィアの新聞に移り、現在はESPNで働いている。なぜ野球を取材したいと思うようになったのか、TVインタビューでこう説明していた。

「幼いころ、母親にジャッキー・ロビンソンの話を聞かされた。アメリカはなんでも可能になる偉大な国で、ロビンソンの成功はその象徴だと。私はこのスポーツについてもっと知り、野球がこの国で果たしてきた役割について考えたいと思った」

 素晴らしい動機だ。この賞は、約500人の全米野球記者協会(BBWAA)所属の記者が投票で選ぶ。筆者もその一員だ。ノミネートされている記者が3人おり、郵便で投票用紙が送られてきて、その中から選んで返信する。ちなみにJ・G・テイラー・スピンクとは、元スポーティングニューズ誌の発行人で、同誌は20世紀、野球のバイブルとして、人気拡大に貢献した。

 62年、スピンク氏が亡くなると、BBWAAはこの賞を創設、1回目の受賞者に彼を選んだ。63年がリング・ラードナー、66年がグラントランド・ライス、67年がデイモン・ラニアン、ベーブ・ルース時代に取材をしていた伝説の記者たちである。

 2000年以降に選出された記者たちは、筆者も現場で出会い、知己を得ている。00年選出、ロサンゼルスのロス・ニューハンとはよく野茂英雄の話をした。02年選出のシンシナティのハル・マッコイはピート・ローズを長く取材し、ローズの人物像に詳しかった。04年のピーター・ギャモンズは全米で最も尊敬された記者である。05年のトレーシー・リンゴロスキーは、カウボーイの出で立ちでいつも記者席に現れ存在感があった。

 12年は、カナダ人で初受賞のボブ・エリオット、16年は「ベーブ・ルースの呪い」を書いた、ボストンの名物記者もダン・ショーネシーである。彼らは選手たちのように殿堂入りをするわけではないが、殿堂の図書館に名を刻み、長年の野球報道への貢献を讃えられるのである。 

文=奥田秀樹 写真=Getty Images
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