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【夏の甲子園プレーバック】巨人 小林誠司初めてのSOS

 

日本一にあと一歩届かなかった2007年の広陵高。写真右から2人目が小林誠司で3人目が野村祐輔


 頼むから入らんといてくれ。マスク越しに高々と舞い上がる打球を見上げながら、広陵高の捕手・小林誠司は心の中で祈っていたという。しかし……。

 2007年8月22日、広陵高と佐賀北高とで行われた選手権大会決勝は、8回表を終えて広陵高が4対0と優位に試合を進めていた。この時点では誰の目にも広陵高の夏初優勝は動かしがたいものに映っていたが、8回裏、あまりにも残酷なドラマが待っていた。

 この日も快調な投球を見せていた広陵高のエース・野村祐輔(現広島)と、それを懸命にリードする小林のバッテリーだったが、一死から八番打者に4イニングぶりに安打を許すと風向きが変わる。その後、安打と四球で満塁とすると、スタンドは佐賀北高を後押しする応援一色に。異様なムードの中、続く二番打者のときだ。

 小柄な左打者に対し、バッテリーはギリギリのコースを突いたが、ことごとくボールの判定。3ボール1ストライクからの5球目、小林は野村のリクエストどおりに小さく真ん中に構え、ミットをほぼ動かさずにストレートを捕球したが、これでも球審の手は上がらない。あまりにも厳しい判定に、ミットを地面に数回叩きつけた後、小林は一塁ベンチの中井哲之監督に救いを求める視線を送っている。

「困ったことがあったら俺を見ろと中井先生には言われていました。どこに投げてもストライクを取ってもらえない。どうすることもできなかったので、あの夏、初めてベンチの中井先生を見ました」

 胸を叩き、力強い視線を送り返す中井監督からの「強気。自信を持て」のメッセージに、気持ちを落ち着かせた小林だったが、最後は佐賀北高の勢いにのみ込まれることとなる。続く三番・副島浩史に甘く入ったスライダーを左翼席へ運ばれるグランドスラムで逆転を許し(冒頭のシーン)、広陵高悲願の夏日本一は、あとアウト4つのところで、その手からこぼれ落ちた。

 奇跡と言われる大逆転劇を、敗者側で演じた小林は「やっぱり悔しかったですし、なんでやっていう思いもありました」と当時を振り返る。と、同時に「今となっては自分が成長していくために必要な試合やったんやと思っています」。広陵高卒業後、同大、日本生命を経て2014年に巨人へ。今春には侍ジャパンの正捕手として、第4回WBC出場も果たしている。あの夏の苦くとも得難い経験は、血となり肉となり、現在も小林の成長を支えている。

写真=BBM
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