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王貞治756号本塁打40周年記念企画

【王貞治756号本塁打(5)】雨天で記録へのチャレンジも小休止

 

1977年、今から40年前、大げさではなく、日本中がプロ野球に熱狂した時期がある。王貞治のハンク・アーロンが持つ当時のメジャー最多記録通算755号本塁打への挑戦だ。アーロンはブレーブス、ブリュワーズで76年まで現役を続けたホームランバッターだが、その引退翌年に王が世界記録を狙うのも、面白いめぐり合わせではある。週刊ベースボールでは、9月3日、756号の世界新記録達成までのカウントダウンを当時、王がホームランを打った日に合わせながら、写真とともに振り返る。

自らに課す1年の最低ノルマ


すでに37歳だが、森氏との対談で「僕はホームラン王を獲ることですごく寿命が延びると思っているんですよ。1年獲ることで確実に1年は選手寿命が延びるんですから」と語っていた


 1977年8月12日の大洋戦(後楽園)で通算749号、シーズン33号を放った王貞治(巨人)だが、続く1本は23日としばらく空く。これは記録の重圧ではない。長雨により試合が13日から19日までなかったのだ。「いい感じで打っていたのに、ちょっとはぐらかされたみたい」と言っていた王。ここまで本塁打をマークした日に更新していた連載だが、しばらく周辺の話を拾いながら書いていきたい。

 試合がなかった時期、王は多摩川の室内練習場に出かけ、バッティング練習で汗を流すなどマイペース調整を続けていた。15日には、雨ながら50メートルダッシュ10本、30メートルダッシュ5本を繰り返し、「やっぱり外で体を動かすと気持ちがいいね。乗っているときは自然と体が動いちゃうんですよ」と笑顔を見せた。

 ただ、「この休みで疲れは取れたけど、取れ過ぎちゃったくらいだね。やっぱり早く試合をしたいね。何もウチだけが試合できなかったわけじゃないし、みんな条件は同じ。明日からガンガン打ちますよ」と少し恨めしそうに雨空を見上げながら、最後は自分に言い聞かすようでもあった。

 この時期の『週刊ベースボール』に、解説者で9連覇時代の同僚・森昌彦氏(現祇晶)との対談が掲載されてた。世界記録に関する一部を抜粋しよう。

王 僕は1年間の最低ノルマというのを自分自身に課しているんですが、それが40本(塁打)なんですよ。で、それと、今度アーロンの記録を破るというのと、数字的にちょうど重なっちゃっているだけで、僕としては別にアーロンの記録を抜くのは今年中ではなくても、来年でもいいと思うんです。

 ただ、この1年間、やっぱりキャンプからいろいろやってきて、最終的に自分のノルマを達成できないようではダメだという意識というか、気持ちはありますね。だからこれはちょっと矛盾した言い方になるんですけれども、ホームランの記録はともかくとして、自分で納得できる数字にしたいなという気持ちなんですね。

森 あと何本って、オリンピックまであと何日というのと一緒の感じで世間から言われるでしょう。

王 そうですね。プロ野球ニュースをテレビで見ると、赤字で出てくるんですから(笑)。でも、それはありがたいものですよ。考えてみれば、野球選手冥利に尽きると思います。もう右も左も分からなかったものがプロに入ってきて、たまたま一本足というものをしたせいか、ここまでやってこられて。だから僕が打てる、打てないというので悩むのなんか、小さいことだと思いますよ。それを大勢の人が注目してくださり、どこへ行っても「頑張ってください」って声援されるでしょう。本当にありがたいことだと思います。

 この年の1月、福田赳夫首相が総理府総務長官に「国民的英雄に国民栄誉賞を贈れないか」と検討を指示したが、現行制度では無理と判断が出た。それが、ここに来て再燃。制度の改正に向け、動き始めたという報道もあった。

 もちろん、王の世界記録を称えるためだ。

<次回に続く>

写真=BBM
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