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夏の甲子園珠玉の名勝負

【夏の甲子園 名勝負11】最後の夏にKKが2度目の優勝!

 

連日、熱戦が続く夏の甲子園。『週刊ベースボール』では戦後の夏の甲子園大会に限定し、歴代の名勝負を1日1試合ずつ紹介していきたい。

怒とうの勢いで勝ち上がったPL


サヨナラで優勝を決め、ホームベース上で喜びを爆発させるPLナイン。バットを突き上げているのが清原


<1985年8月21日>
第66回大会=決勝
PL学園(大阪)4−3 宇部商(山口)

 今回は、KK最後の夏だ。

 83年夏、“やまびこ打線”の池田(徳島)に大勝し、バトンを受けた形となった桑田真澄(のち巨人ほか)、清原和博(のち西武ほか)の「1年生KKコンビ」擁するPL学園(大阪)。ただ、KKは在学中すべてとなる甲子園5季連続出場を成し遂げているが、1年夏以降、常に優勝候補と言われながら、あと一歩で届かずにいた。

 1984年、2年春のセンバツが岩倉(東京)に0対1、2年夏は取手二(茨城)に延長10回の末、4対8。いずれも決勝で敗れ、準優勝だった。3年春のセンバツでは準決勝で渡辺智男(のち西武ほか)がエースだった伊野商(高知)に1対3。特に四番・清原は3打数3三振の屈辱を受け、のち「人生で初めて力負けをした打席」と振り返っている。

 85年の3年夏、KK、いやPLは、まさに怒とうの勢いで勝ち上がる。初戦となる2回戦、東海大山形戦がなんと29対7、3回戦の津久見(大分)戦が3対0、準々決勝の高知商戦が6対3、そして準決勝の甲西(滋賀)戦が15対2だ。

 迎えた決勝の相手は、山口代表・宇部商だった。ここまで大会タイ記録の4本塁打を放っていた四番・藤井進が騒がれてはいたが、下馬評は圧倒的にPL有利。ただ、準決勝の後、宇部商の玉国光男監督は「相手がPLだから気楽にいけます。もしチャンスがあるとしたらウチが先行し、PLが優勝を意識したときでしょう」と笑顔を交え、語っている。

「清原、桑田」のKKへ……


最後の夏に優勝を飾り、がっちりと握手する桑田(左)、清原


 PL先発はもちろん桑田。対して宇部商は不振が続くエース、田上昌徳ではなく、それまでリリーフで好投していた古谷友宏をマウンドに送った。

 先制したのは、宇部商だった。2回表、四球、盗塁を絡め、犠飛でヒットなしの1点。PLはホームが遠く、玉国監督の言葉が頭をよぎる展開となった。それでも4回裏、先頭の四番・清原のバットが一閃。藤井と並ぶ大会4本目のホームラン、さらに5回裏にも1点を奪い、PLが逆転した。一気に流れが変わった、かに思えた。

 しかし6回表、桑田がつかまる。宇部商は、藤井のフェンス直撃の特大三塁打、田上の犠飛で2点を奪い逆転に成功。連投の桑田には、明らかに疲れが見えた。そして、それを一番分かっていたのが、一塁の清原だったという。

「試合中、何度もマウンドに来て、大丈夫、打たれても俺は打ち返したると言ってくれました」(桑田)

 言葉どおり、その裏、清原が大会記録となる5本目の本塁打で同点。このとき朝日放送で試合を実況していた植草貞夫アナの伝説のセリフ「甲子園は清原のためにあるのか!」が生まれた。

 そのまま互いに無得点が続き、3対3で迎えた9回裏、PLの攻撃だった。簡単に二死となった後、安本政弘がライト前で出塁し、盗塁。ここで打席に入ったのが、三番の主将・松山秀明(のちオリックス)だった。ファウルで粘った後、右中間にサヨナラ打。ホームにかえった安本を中心にPLナインの歓喜の輪ができ、ネクストにした清原は、持ったままでいたバットを空に突き出した。

 清原は試合後、ボロボロ泣きながら、「(2本のホームランは)狙っていたわけではありません。優勝を決める大一番で堂々と勝負してくれたことがうれしかった。力いっぱい投げてきたボールを思い切って振りました。最後に2本打って優勝。もう、言うことはありません」と語った。

 完投の桑田の勝利は甲子園戦後最多勝の20勝、一方、清原の13本塁打は史上最多。特に清原は、この大会で16打数10安打の打率.625、さらにいえば、準決勝以降の3試合は10打数8安打の打率.800、大会新の5本塁打もすべてこの3試合で叩き出した。

 それまでのプロの評価、人気とも桑田が上のように思われたが、清原は最後の最後でまくった。KKは「桑田、清原」か、「清原、桑田」か……。清原がその後もずっとこだわった順番も、この時点では、「清原、桑田」に一気に傾いた。

写真=BBM
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