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プロ野球回顧録

監督は「OB」か「OB以外」か

 

11球団の傾向とは?


右が巨人阪神で優勝した藤本監督(阪神時代)。左は巨人、西鉄、大洋で優勝した三原監督(大洋時代)


 先日、シーズン途中ながらロッテ伊東勤監督の退任が明らかになった。注目の後任探しについては「OBにはこだわらない」方針だという。

 伊東監督は、現役時代は西武ひと筋。つまりロッテにとっては「OB以外」だった。その前、2012年までは西村徳文が監督で、2010年には日本一になっている。こちらは「OB」だ。果たして「OB」と「OB以外」の監督でチームへの影響はどのように違うのか。

 もちろん、最終的には、その監督の資質と受け入れるチーム側の環境ではあるが、今回は「OB」「OB以外」をキーワードに過去のプロ野球監督史を振り返ってみたい。

 まず一般論であるが、OBならば、選手、ファンも慣れ親しんでいることが多い。チーム一丸というスタイルが作りやすい一方、甘えが生まれたり、ワンマンだったスーパースター選手が監督になると、現役時代の力関係をそのまま選手に押し付け、軋轢が生まれたりすることもある。

 OB以外は他チームでの実績を持っていることが多いが、それを前面に出し過ぎ、選手やファンの反感を買うことがある。ただし、チーム内にしがらみが少ない分、思い切った改革がやりやすく、チームの体質を変えるのはOB以外であることが多い。

 次にロッテ以外の11球団の傾向をざっくり分類してみよう。

◆セントラル・リーグ

巨人/36年公式戦スタート以降の実質の初代は、東京鉄道局監督時代に巨人を破って招へいされた藤本定義だが、以後はすべてOB。しかも現役時代、スーパースターに限定されている。

阪神/プレーイングマネジャーが多く、ほぼ生え抜き。藤本定義、野村克也星野仙一らが外様だが、いずれもチームを活性化。藤本、星野は優勝にも導いている。

中日/創設期は選手兼任が多かったが、プロ選手の実績がない、いわば“職業監督”天知俊一が54年に日本一に導いた。以後は水原茂以外、ほぼOB。84年から監督となったOB以外の山内一弘も地元・愛知県出身だ。ただ、いまはOB以外の森繁和

広島/OB主体路線だが、根本陸夫、ルーツと改革を起こしたのはOB以外。75年以降はふたたびOB路線貫く。

DeNA(大洋、横浜)/創設期からOB以外が多く、2度の優勝&日本一を飾った60年が三原脩監督、98年が権藤博監督と、いずれもOB以外だ。05年以降のOBは現監督のラミレスのみ。

ヤクルト/初期からOB以外の監督が多く、その際たるものが90年代に黄金時代を築いた野村克也監督。ただ野村監督退任後は実質OB路線になっている。

◆パシフィック・リーグ

オリックス(阪急)/創設期から主に兼任監督が続くが、57年藤本定義就任後はOB以外路線に。特に63年就任の西本幸雄以降、79、80年の梶本隆夫以外は上田利治(2期)、土井正三仰木彬(2期)、石毛宏典、レオン、伊原春樹中村勝広、コリンズ、大石大二郎(近鉄と合併以後だが……)とOB以外が続き、OBの岡田彰布、OB以外の森脇浩司をはさみ、2016年からOBの福良淳一となった。

ソフトバンク(南海・ダイエー)/草創期はともかく戦後は鶴岡一人から始まり、野村克也ら完ぺきなOB政権だったが、ダイエー2年目から田淵幸一、根本陸夫、王貞治とOB以外が続いた。ただ、その後、秋山幸二工藤公康とOB路線(&西武OB)に。

日本ハム(東映ほか)/東映時代はOB、OB以外とさほどこだわった印象はないが、74年の日本ハム以後は東映色払しょくもあって中西太大沢啓二ら、ほぼOB以外となった。札幌移籍後はOB監督なし。

西武(西鉄ほか)/西鉄時代は三原脩(OB以外)の後、中西太、稲尾和久ら三原チルドレンの時代があったが、79年の埼玉移転後は、広岡達朗森祇晶の巨人OBたちで長い黄金時代を築く。95年以降はすべてOB。

楽天/05年創設とあってまだOB監督はなし。

混在するロッテ


2010年、OBの西村監督の下、ロッテは“下克上”日本一を達成したが……


 次はロッテ監督にフォーカスしよう。

 1950年、毎日オリオンズとして誕生。当初の選手は、ほぼ阪神と社会人・別府星野組からの引き抜きだった。初代監督(総監督)は湯浅禎夫。明大の大投手で毎日新聞の記者だったが創設時に入団した。その後、平和台事件で退任し、別当薫が一時監督、53年、若林忠志監督(それまでも監督だが、公式記録は湯浅監督だった)をはさみ、54年から別当が本格的に監督になった。

 さらに創設期のメンバーだった西本幸雄がコーチを経て60年に監督となり、いきなりリーグ優勝。ただ、オーナーの永田雅一と衝突し、1年で退任。ある意味、ここまでが生え抜きの時代と言える。

 翌61年からは巨人、国鉄のスター選手、外様の宇野光雄が監督。以後は、ほぼ交互となる。

 以後は簡単に振り返ろう。

 本堂安次(OB)、田丸仁(OB以外)、戸倉勝城(OB)、濃人渉(OB以外)、大沢啓二(OB)と来て、73年に就任したのが、完全なOB以外、国鉄─巨人の400勝左腕・金田正一だ。2年目の74年には優勝、日本一に輝き、一世を風靡した。

 その後、79年から山内一弘(OB)、山本一義(OB以外)、稲尾和久(OB以外)、有藤道世(OB)、金田正一2期目(OB以外)、八木沢荘一(OB)、バレンタイン(OB以外)、江尻亮(OB以外)、近藤昭仁(OB以外)、山本巧児(OB)、バレンタイン2期目(OB以外。05年優勝、日本一)、西村徳文(OB。10年日本一)、伊東(OB以外)と続いている。

 OBとOB以外の有利不利は微妙だ。OB以外の金田正一、バレンタインは劇薬となってチームを変革し、優勝に導いた。OBの西村は選手を前面に出しながら3位からの“下克上”日本一に導いた。

 他チームにおいてもOB以外の監督が劇薬となってチームを強化した例は多いが、補強の資金がかさんだり、選手の心が離れ、なかなか強さが長続きせず、黄金時代を築けないことも多い。

 果たして、いまのロッテに何が求められているのか。もちろん、監督人事以前の問題も山積みではあるが。

※記載の試合内容に一部誤りがあったため、訂正いたしております。

写真=BBM
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