同年、池山はプロ入り初の打率3割到達(.303)
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月23日だ。
「1年目は種をまき、2年目は水をやり、3年目に花を咲かせる」
名将・
野村克也氏の
ヤクルト監督時代の言葉だ。
就任は1990年。87年からの
関根潤三監督時代、自主性尊重の指導で
池山隆寛、
広沢克己の“イケトラ・コンビ”らが躍動し、人気は急上昇中ながら、いかんせん弱かった。
野村監督は就任後の春季キャンプからミーティング漬けにし、まずは選手の“教育”に時間を割き、シーズンに入ると、もう1つの武器、マスコミを通じた“ボヤキ攻撃”を開始した。
その一番のターゲットとなったのが、前年34本塁打ながらリーグ最多141三振を喫していた池山。“しょうゆ顏”と言われ、若い女性ファン人気がダントツの男だった。野村監督には、その荒っぽさが、ある意味、才能のムダに見えた。
1990年8月23日は、池山がサイクルヒットをマークした日だ。
チームは5位と開幕から低迷し、7連敗を喫していた中で迎えた神宮での
中日戦だ。
池山は、第1打席、
川畑泰博から先制の24号バックスクリーン弾、次も川畑から二塁内野安打、続く第3打席は
山内和宏から右翼線二塁打、とどめの第4打席は
鹿島忠から風にも助けられ、右翼手がバンザイしての右越え三塁打で、自身初のサイクルヒットを達成した。
「サイクルなんて全然知らんかった。ベンチに戻ってきて教えてもらって分かったくらい」とは試合後の池山だが、この日は試合前から目の色が違っていた。
前夜、1本塁打を含む3安打をマークしながら、平凡な遊ゴロを一塁に悪送球し、逆転負けのきっかけを作ってしまった。右肩痛を隠しての出場もあったが、それは言い訳にできない。試合後は、あえて明るい顔で記者団に向かった。
しかし、朝、新聞を見ると、野村監督の「エラーをしても平気な顔。ヒット3本打ったと言って大はしゃぎしとる。チームリーダーとしてなっとらん」のコメントを見た。
それで「メチャ気合入った」と池山。野村監督もこの日は、「池山の一発が効いたな」とニヤリとしながら語っていた。
ヤクルトはこの年5位ながら、翌年3位、そして野村監督の言葉どおり3年目の92年にリーグ優勝を果たす。池山は広沢、
古田敦也らとともに、その中心メンバーとなった。
写真=BBM