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プロ野球デキゴトロジー/9月6日

“ホームランモンスター”王貞治が野村克也を抜き新記録【1964年9月6日】

 

ホームにかえってきた王をナインが祝福。左から池沢義行須藤豊柴田勲、王、国松彰


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は9月6日だ。

 入団6年目、24歳の若者がとんでもないことをやってのけた。

 1964年9月6日、大洋─巨人戦(川崎)、巨人の王貞治のバットが6回表無死で峰国安の初球をとらえると、打球は右中間の照明にガツンと当たり、シーズン53号となった。

 前年、南海・野村克也が、50年に松竹・小鶴誠がマークした51本を更新し、52本塁打の日本最多記録を作ったが、わずか1年で抜かれたことになる。

 いま二段モーションが話題となっているが、当時は皆、平気でやっており、王キラーと呼ばれた峰も、王の一本足打法を崩すため、一度上げた足を止めてタイミングを狂わせて投げるのが常だった。

 しかし、このときはそれを予測していた王が、その時点では右足を上げず、「仕方ない」と投げた1球に合わせた一発だった。

 大歓声の中で、照れ屋の王は、いつものようにややうつむき加減に塁を回り、試合後、知り合いの記者に「手でも振っておけばよかったのに」と冷やかされると、「そんな余裕はなかったぜ。うれしいやらなにやら。もう1回やり直すか」と言って笑った。

 最終的に王は55本まで記録を伸ばし、これが長く日本記録であり続けた。

 のち、70年代後半、選手生活晩年になって、あまり飛距離の出ない、技ありのホームランが多かった王のイメージでこの数字を見て、「当時は球場が狭かったから」「投手のレベルが低かったから」という声もあったが、それは勘違いだ。もちろん、球場は狭かったが、当時の王は、まったく構わずに特大ホームランを打ちまくった。荒々しく力強い、まさに“ホームランモンスター”だったのだ。

 2位との差は19本。4打席連続本塁打をはじめ、1試合2本以上が10回、飛距離120メートル以上が24本で、うち3本が場外だ。5月5日の広島戦(後楽園)では、左打者の王の打球方向を研究し、極端にライト側に寄る王シフトが初めて登場し、すぐ他球団にも広がったが、王は関係なく、その上を超えるホームランを量産し続けた。

 なお、野村は抜かれた際、「まだ1年だぜ。もう少し後で打ってもよかったのにな。俺はこういう星のもとに生まれてきたんだな」とボヤいたそうだ。

写真=BBM
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