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ドラフト会議物語

【ドラフト会議物語07】“プリンス”太田幸司は近鉄。早大・荒川堯は悲劇の道へ【69年】

 

今年は10月26日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で53年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。

個性派の多い世代


ヤクルト入りした荒川。義父は王貞治の恩師・荒川博で、その高い才能で注目されたのだが……


1969年11月20日
第5回ドラフト会議(日生会館)

[1位選手]
中日   谷沢健一 (早大)
阪神   上田二朗 (東海大)
大洋   荒川堯  (早大)
南海   佐藤道郎 (日大)
西鉄   泉沢彰  (盛岡鉄道管理局)
近鉄   太田幸司 (三沢高)
東映   片岡建  (リッカーミシン)
広島   千葉剛  (日鉱日立)
ヤクルト 八重樫幸雄(仙台商高)
ロッテ  前田康雄 (電電四国)
巨人   小坂敏彦 (早大)
阪急   三輪田勝利(大昭和製紙)

 大学選手の実力派が多く、特に早大は1位で3人、2位で阿野鉱二(巨人)と4人が上位指名でプロ入りした。うち注目は谷沢健一と荒川堯のスラッガー2人だったが、谷沢は、いの一番で指名した中日にすんなり入団し、70年の新人王となる。

 対して荒川は「巨人かヤクルト」と希望球団を明言していたにもかかわらず、大洋が強行指名。その後、もめにもめ、翌年の交渉権ぎりぎりで大洋に入団し、すぐ三角トレードでヤクルトへ移籍した。これは当然、協約違反。開幕から1カ月の出場停止処分が下っている。

 悲劇は拒否のまま越年していた時期だ。自宅近くで荒川が暴漢に襲われ、頭部を殴打される事件も起こる。この後遺症で左目の視力が落ち、若くして現役を終えざるを得なくなった……。

 甲子園のアイドルとして行く先が注目された太田幸司は近鉄入り。以後も大フィーバーが続き、1年目のオールスターに、さほど実績がないにもかかわらずファン投票1位で選ばれ、物議を醸している。

 この年代の名球会入りは谷沢(現在は退会)と南海2位の門田博光(クラレ岡山)だが、ほかにも1位には、パの初代セーブ王の南海・佐藤道郎、サイドハンドの阪神・上田二朗、独特のオープンスタンスのヤクルト・八重樫、2位には近鉄が阪急・福本豊の天敵とも言われた左腕・神部年男(富士鉄広畑)、大洋にはのち日本ハムで開花する間柴富裕(比叡山高)、中日4位には74年の優勝に貢献した松本幸行(デュプロ印刷機)、巨人6位には強肩遊撃手・河埜和正(八幡浜高)、ヤクルト7位にはのちの正捕手・大矢明彦(駒大)と、個性派の多い世代でもあった。

<次回に続く>

写真=BBM
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