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ドラフト会議物語

【ドラフト会議物語10】1年で3球団と交渉の新美。長崎、鈴木孝にはのち因縁対決も【72年】

 

今年は10月26日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で53年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。

社会人、高校生の実力者が混在する指名


入団会見での仲根(中央)。のち打者に転向した。引退後、肺がんのため40歳の若さで死去


1972年11月21日
第8回ドラフト会議(日生会館)

[1位選手(×は入団せず)]
大洋    長崎慶一 (法大)
中日    鈴木孝政 (成東)
東映(日拓)新美敏  (日本楽器)
近鉄    仲根正広 (日大桜丘高)
阪神    五月女豊 (日本石油)
太平洋   中島弘美 (八代第一高)
阪急    石田真  (足利工高)
広島    池谷公二郎(日本楽器)
ヤクルト  永尾泰憲 (いすゞ自動車)
南海    石川勝正 (東洋紡岩国)×
巨人    中井康之 (西京商高)
ロッテ   伊達泰司 (法大)

 指名人数は多くなかったが、社会人、高校生の実力者が混在する指名になった。

 最大の目玉は関大の剛腕・山口高志だったが、早くから社会人・松下電器でプロ拒否を宣言。もしやとヤクルトが4位指名するも相手にされなかった。人気面では近鉄に1位指名された仲根正広の注目が高かった。193センチの長身で「ジャンボ」と言われ、甲子園を沸かせた右腕だったが、残念ながらプロでの大成はなかった。

 希有な1年となったのが、東映1位の新美敏だ。東映で指名されるも、すぐ球団が身売りで日拓ホームのユニフォームを着て、オフには今度、日拓が日本ハムに身売りしたので、契約更改は日本ハムで行った。

 ほか1位で、のち首位打者にもなる巧打者、大洋の長崎慶一がいの一番、快速球右腕として鳴らした中日の鈴木孝政が2番目だったが、2人はのち1982年の対戦で、鈴木が長崎にサヨナラ満塁弾を浴び、速球派から技巧派への切り替えを決意することになった。ほか広島1位の快速球右腕・池谷公二郎、大洋3位の“オバQ”こと田代富雄(藤沢商高)、西鉄3位で、阪神で開花する真弓明信(電電九州)らも、このときに入団になる。

 なお、益山性旭の名前の漢字を説明する際、ドラフト会議の司会・パンチョ伊東さんが「性はセックスの性」と説明したというドラフト定番のこぼれ話がある。多くの人は、それも阪神入りした76年の会議と勘違いしていたが、実際には、この年、大阪・福島商高3年だった益山が大洋に4位指名された際だった。(益山は指名を拒否して帝京大学に進学)

「1位だったら紙に名前が出るからみんな漢字も分かる。わざわざそんな説明しません」(伊東氏)とのことだった。

<次回に続く>

写真=BBM
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