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ドラフト会議物語

【ドラフト会議物語23】会場あ然の巨人の桑田指名。清原は涙の「KKドラフト」【85年】

 

今年は10月26日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で53年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。

狸とキツネの化かし合い


清原の涙は全国中継され、大騒動となった


1985年11月20日
第21回ドラフト会議(ホテル・グランドパレス)

[1位選手]
南海   西川佳明(法大)
ヤクルト 伊東昭光(本田技研)
日本ハム 広瀬哲朗(本田技研)
中日   斉藤学 (青学大)
阪急   石井宏 (日大)
大洋   中山裕章(高知商高)
近鉄   桧山泰浩(東筑高)
巨人   桑田真澄(PL学園高)
ロッテ  石田雅彦(川越工高)
広島   長冨浩志(NTT関東)
西武   清原和博(PL学園高)
阪神   遠山昭治(八代第一高)

「KKドラフト」とも言われ、78年オフの「江川問題」に次ぐ大騒動となったが、このときは野球協約に抵触するかのようなルール違反を犯したわけではない。ただ、選手の夢の背後にある、さまざまな駆け引きが見え隠れし、後味の悪いものとなった。

 甲子園のスーパースター、PL学園高のKKこと、清原和博、桑田真澄が注目されたドラフトだったが、桑田がいち早く「早大進学」を表明。対して清原は巨人志望を隠さず、巨人もまた清原の名を呼び続けたことからドラフトの争点は、「清原の巨人入りはなるか」に絞られたように思えた。

 しかし、フタを空けたら巨人は桑田を指名。会見場の清原はそれを聞き、大粒の涙を流した。当初、指名拒否濃厚と思われた桑田がすぐ翻意したことで、巨人と桑田の密約説も言われたが、事態はそれほど単純ではない。

 当時の関係者の話では、巨人の狙いは清原1位、桑田2位の「KK総取り」にあった。しかし、それを西武の根本陸夫管理部長がかぎつけ、桑田の1位指名に方針転換したという情報がドラフト会議直前に巨人に伝えられたことで、急きょ桑田の1位指名に変えたというのだ。真偽のほどははっきりしないが、当時の巨人、西武の関係なら十分あり得ることだった。

 結局、6球団の競合の末、清原を射止めた西武の根本管理部長は「やはり巨人の戦略はすごい」と桑田指名を称賛したが、まさに狸とキツネの化かし合いがあったわけだ。この問題は長く尾を引く。巨人入団後も桑田からダーティなイメージがなかなか消えなかったこともそうだが、入学が決まっていたと思われた早大側が態度を硬化し、以後いっさいPL学園高からの選手を取ってない(現在は休部)。

 ほか1位では88年にリリーフで最多勝を取ったヤクルトの伊東昭光、ハッスルプレーで人気があった日本ハムの広瀬哲朗の本田技研組がチームの主力となり、1年目から10勝の南海・西川佳明、新人王の広島・長冨浩志、リリーフでフル回転した大洋・中山裕章らの名前もある。阪神の遠山昭治は、その後、ロッテ移籍、打者転向、自由契約、阪神復帰で投手再転向と波乱万丈の道を歩んだ。

 2位では2年目87年の新人王、ヤクルトの荒井幸雄(日本石油)、ロッテの左腕・園川一美(日体大)、南海4位にのち広島の捕手・西山秀二(上宮高)、阪急の外野守備の名手・本西厚博(三菱重工長崎)らがいるが、貢献度が高かったのが、のち2000安打を達成する日本ハム3位の田中幸雄(都城高)だ。同姓同名の投手がいたため、チーム内では「コユキ」の愛称がついた。184センチと決して小柄ではないが、投手の田中幸雄が身長190センチ。こちらは「オオユキ」と呼ばれている。

<次回に続く>

写真=BBM
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