鎌倉学園高は桐光学園高との神奈川県大会3位決定戦で惜敗し、関東大会出場を逃した
今秋の神奈川県大会で旋風を起こしたのは鎌倉学園高である。準々決勝で横浜高に15対8で8回
コールド勝ち。春夏を通じて甲子園優勝5度を誇る名門からの金星だった。鎌倉学園高は過去に1962、69年とセンバツに2度出場しているとはいえ、多くの強豪校が集う神奈川においては古豪という立ち位置にいる。
次なるステージまであと1勝。9月23日、鎌倉学園高は関東大会出場をかけた慶應義塾高との準決勝で0対1と惜敗した。来春のセンバツへの貴重な資料となる関東大会は地元・神奈川開催で出場枠は3。翌日の3位決定戦で、最後のイスを争うこととなった。
24日、保土ヶ谷球場の三塁側応援席は鎌倉学園高のスクールカラーであるエンジで埋まった。神奈川高野連関係者は言う。「鎌学はオールドファンが多いんです」。だが、鎌倉学園高は0対3の8回裏に2点を返す粘りも及ばず、1点差で敗れた。
試合後の三塁ベンチ裏、竹内智一監督は目を真っ赤にさせ、取材に対応した。
「悔しいです……。本気で甲子園を目指す!! とやってきた。最後まであきらめないで選手はやってくれ……褒めてやりたい」
時折、言葉を詰まらせた。
36歳の熱血監督で、同校OBの竹内監督は早大出身。今季、
阪神で2000安打を達成した
鳥谷敬、メジャーで活躍する
青木宣親と同級生で、彼ら選手を束ねる学生コーチとして活躍した。卒業後は一般企業に内定していたものの、母校・鎌倉学園高を率いる指導者への夢は捨てなかった。
大学在学中に商業科の教職課程を履修し、早大では取得できない公民科の単位は、日大通信課程で取得。着々と準備を進めたが、同科目での採用がなく2004年4月、社会人としての新生活をスタートさせた。
その後05年8月に退職し、06年から鎌倉学園高に勤務。アメフト顧問、同校中学野球部監督、同高校野球部コーチを経て13年秋からチームを率いている。
早大時代は野村徹元監督の薫陶を受け、4年時には創部初のリーグ4連覇を達成。高校、大学を統括する「日本学生野球協会」の年間表彰は一般的に選手に与えられるが、03年は竹内氏が「学生コーチ」として異例の受賞。大学時代から指導者としての素養が備わっていたのである。
監督就任5年目で、神奈川の厳しさを初めて味わった。
「勢いで勝たせてくれるほど、神奈川は甘くない。準決勝は大振りで、引っ掛ける場面が目立ち、今日(3位決定戦)は走塁ミス。このレベルになると、1球が命取りになる。アクセルだけではいけない。地に足を着けて状況判断しないと。大きな宿題をいただきました」
準々決勝以降が「別世界」であると、話では聞いていた。だが、実際に経験してみないと分からない。
「ベスト4はリセットして、一から出直します!!」
母校のために汗を流し、本気で部員と向き合ったからこそ出た涙。そんな熱血漢の下で指導を受ける生徒たちは、幸せである。
文=岡本朋祐 写真=BBM