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ドラフト会議物語

【ドラフト会議物語33】佐々木監督の「ヨッシャー!」も虚しく福留は近鉄を拒否。パ1位の拒否は18人目【95年】

 

今年は10月26日に行われるドラフト会議。毎年、金の卵たちが、どの球団へ進むか大きな注目を集める“一大イベント”で、さまざまなドラマも生まれる。今年で53年目を迎えるドラフト会議の歴史を週刊ベースボールONLINEでは振り返っていく。

中日の外れ外れ1位は2000安打達成者


近鉄の交渉権獲得に渋い表情を見せた福留


1995年11月22日
第31回ドラフト会議(新高輪プリンスホテル)

[1位選手(×は入団せず)]
近鉄    福留孝介 (PL学園高)×
阪神    舩木聖士 (NKK)
ダイエー  斉藤和巳 (南京都高)
中日    荒木雅博 (熊本工高)
日本ハム  中村豊  (明大)
横浜    細見和史 (同大)
西武    高木大成 (慶大)
巨人    原俊介  (東海大相模高)
ロッテ   沢井良輔 (銚子商高)
広島    長谷川昌幸(市銚子高)
オリックス 今村文昭 (九州学院高)
ヤクルト  三木肇  (上宮高)
 
 この年の最大の注目はPL学園高のスラッガー、福留孝介だった。福留は事前に「意中の球団以外は日本生命」と明言し、その“意中”は巨人と中日と言われた。

 しかし、ほか大物が逆指名組だけだったこともあり、2球団以外に近鉄、日本ハム、ロッテ、オリックス、ヤクルトと85年同じくPL学園高の清原和博(西武入り)を上回る7球団が1位で競合。赤ふんどしを身に着けて挑んだ近鉄の佐々木恭介監督が当たりを引き当て、ドラフト会場に「ヨッシャー!」の声が鳴り響いた。

 福留は結局、佐々木監督の熱烈ラブコールにも翻意せず、日本生命入りしたが、佐々木監督は、のち中日入りした福留の不振時に打撃コーチとなり、打撃開眼に導き、師匠と呼ばれる存在になるのだから不思議な話だ。

 その後、中日と巨人が原俊介捕手、ロッテとヤクルトが沢井良輔内野手でかち合い、再び抽選。原が巨人、沢井がロッテとなった。なお2度1位を外した中日の1位が2000安打を達成した荒木雅博である。1位の中には通算42勝の広島・長谷川昌幸、内野手に転向し97年の優勝に貢献した西武・高木大成らもいるが、全体に地味。ダイエーの斉藤和巳も入団後ケガが多く、完全に「外れ」だったと思われたが、03年に20勝。以後、短命ではあったが、エースとしてチームをけん引した。

 このドラフト会議はアトランタ五輪のアジア予選後に行われたが、全日本メンバー中、仁志敏久(日本生命)、舩木聖一、高木は凍結入り選手を選ばず、プロ入り。仁志は巨人の2位で入団し、新人王にもなっている。

 ほか2位には近鉄・岡本晃(関大)、中日・門倉健(東北福祉大)、西武・大友進(東京ガス)、ロッテ・薮田安彦(新日鉄広畑)、ヤクルト・宮出隆自(宇和島東高)ら印象的な活躍した選手が多く、メジャー経験は薮田のみだが、岡本、門倉、仁志といずれも海外球界への挑戦歴がある。

 さらに3位では巨人が仁志と一、二番を組んだ清水隆行(東洋大)、オリックスの捕手・日高剛(九州国際大付高)、ヤクルトには野村克也氏の息子・野村克則(明大)。4位には中日が04年のゴールデン・グラブ、渡辺博幸(三菱自動車川崎)、ヤクルトが快速球左腕・石井弘寿(東京学館高)の名前もある。

<次回に続く>

写真=BBM
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