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【MLB】大谷翔平の二刀流挑戦は古き良き時代への復活だ!

 

メジャーで10勝10本塁打を記録したのは1918年のベーブ・ルースのみ。来年以降大谷がメジャーに挑戦し、この数字をクリアすれば約100年ぶりとなる(写真は1918年のベーブ・ルース


 大谷翔平については、すでにメジャーでも期待感が高まっている。才能の宝庫MLBのこと、二刀流のポテンシャルを持つ選手は少なからずいるが、近代野球の確立された育成システムの中で、芽は摘まれてきた。そこに「MADE IN JAPAN」の大谷が挑む。

 MLB公認歴史家ジョン・ソーン氏も「大谷を応援している」と言う。氏によると19世紀には多くの二刀流がいた。1チームの選手数が10人から12人で、投手も能力が高ければクリーンアップを打ち、投げない日はほかのポジションを守った時代だ。「当時、最高の二刀流はカーネルズのガイ・ヘッカーだった」とソーン氏。1884年、52勝20敗、防御率1・80、385奪三振で投手3冠、打撃成績は外野手として出た5試合も含め316打数94安打、打率.297だった。その2年後の86年、打率.341で、MLB史上唯一投手で首位打者となった。投手成績は26勝23敗だった。そんな二刀流全盛時代にピリオドが打たれたのはルールが変わったから。「1891年、それまでは病気やケガ以外では許されなかった交代が認められるようになり、ベンチの選手数も少しずつ増えていった」。

当初、代打に起用されたのは、その日投げない打撃の良い投手だった。それが1901年14人、08年17人、14年25人とベンチ枠が広がり、野手の控えが増える。分業が進み、投手は打てなくても構わないとなる。

「20世紀になって、投手の打撃成績は一気に下降した。投手でも2割以上打つのが普通だったのに、.180、.190と数字が下がった」。現実的に考えると、大谷が19世紀の二刀流の数字に挑むのは100%不可能だ。それよりは20世紀前半と比較できる。

 ご存じベーブ・ルース(レッドソックス時代)。二刀流は2シーズンで、18年は投手として13勝7敗、打者としては11本塁打で本塁打王だった。大谷が日本で2度成し遂げた10勝&10本塁打が、メジャーで達成されたのはこのときだけである。19年は、投手で9勝5敗、打者で29本塁打。大谷がメジャーでも10勝&10本塁打を達成しルースと並べば大騒ぎになるだろう。

 30年代にはウェス・フェレルという豪打の投手がいた。31年(クリーブランド時代)は投手で22勝して、9本塁打。9本は投手専任選手の記録である。通算38本塁打も投手の記録。ただし彼はよく打つ投手であって、二刀流ではない。むしろ二刀流は先発投手&最強の代打で鳴らしたレッド・ルーカスかもしれない。レッズなどでプレー、先発投手で157勝135敗を記録すると同時に、29年、30年、31年、37年はナ・リーグで最多の代打ヒットをマークした。31年は先発投手で29試合に登板、代打で68試合出場。合計97試合でプレーした。

 プロ野球で投手の打つ機会が激減したのは、73年、ア・リーグが指名打者制を採用したためだ。69年からマイナーでDHをテスト。4年後、ア・リーグが採用に踏み切った。ソーン氏は「メジャーは分業が進み、(ナ・リーグ開催試合では)プロとは思えない投手のお粗末な打撃やバントを見せられる。大谷のような選手の登場は意味のあることだと思う」と語る。大谷によるMLBでの二刀流復活、日米のファンが楽しみにしている。

文=奥田秀樹 写真=Getty Images
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