6回に代打で登場し、逆転3ランを放った萩原。塁を回りながらバンザイした
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月11日だ。
最終戦直接対決で
巨人が
阪神に大勝し、リーグ9連覇を飾った1973年。試合後、観客が一斉に甲子園のグラウンドになだれ込んだ大暴動の印象が強い方もいるだろう。
この年は、そこに至るまでにも、GTは激しい戦いを幾度となく繰り広げた。
そのハイライトとも言えるのが、10月11日の後楽園決戦だ。わずかの差だが、首位に立っていた巨人だが、前日の10日の同カードで、2対5から阪神・
田淵幸一に逆転の満塁弾を浴び、敗戦。ゲーム差はないが、勝率で抜かれ、2位となった。
迎えた11日の試合。巨人は
堀内恒夫、阪神は
江夏豊と互いにエースを先発させ、必勝を期す。ただ、すでに22勝を挙げている江夏と、不振に苦しみ、ここまで12勝16敗と負け越していた堀内。立ち上がりは、その差がはっきり出た。
堀内は初回4失点で早々に降板。後続もつかまり、2回を終え、巨人は0対7と大量リードを許してしまう。しかし、前日からの連投だった江夏もピリッとせず、4回には
富田勝の3ランなどで巨人が4点を奪った。
これで江夏を引きずり下ろすと、6回には
黒江透修のソロの後、代打の
萩原康弘が逆転3ランで9対7と試合をひっくり返す。
阪神も負けてはいない。7回に
藤田平のソロ、代打・
和田徹のタイムリーで同点。さらに8回にも1点を取り、10対9とリードしたが、巨人もその裏、好調の
柳田俊郎がソロ本塁打で10対10の同点とする。試合はそのまま延長10回、時間切れ引き分けとなった。3時間35分の死闘だった。
9連覇に向け、首の皮1枚つないだ巨人だったが、2回には
長嶋茂雄が三ゴロのイレギュラーで右手薬指を骨折するアクシデントもあった。37歳という年齢、さらには成績不振もあって、マスコミは、このまま引退して監督就任ではと騒いだが、長嶋は「バットマン長嶋はバットを離しません。ケガをした今こそ死んでも死にきれません」と否定した。そのほかにも
王貞治が腰痛、
土井正三は前日に右足を3針縫うケガ。みんなボロボロだった。
試合後、
川上哲治監督は「あすは完全休養日にする。ゆっくり休んでくれ」と珍しく優しい笑顔で言ったという。
写真=BBM