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仮面の告白

【谷繁元信】ドラフトの思い出と広陵高・中村奨成の可能性

 

『ベースボールマガジン』で連載している谷繁元信氏のコラム「仮面の告白」。ネット裏からの視点を通して、プロ野球の魅力を広く深く伝えている同氏だが、今回はドラフトに関して。かつて“江の川高校に谷繁あり”と称され、全国にその名をとどろかせた。ドラフト1位で1989年大洋(現DeNA)入団。自身のドラフトについて振り返るとともに、今夏の甲子園で「高校生捕手では谷繁以来の逸材」と評価を急上昇させた広陵高・中村奨成の可能性について綴った。

どの球団に入っても何らかの道は開かれる


1988年秋のドラフトで大洋から1位指名された谷繁氏


 1988年、僕の江の川高(現・石見智翠館高)での3年夏は甲子園ベスト8に終わりましたが、スカウトの方が何人か学校に来てくれました。どのチームかは分からないですが、ほぼ指名はしてくれるだろうという中で、プロの世界で通用するのかなという不安もまだなく、ウキウキと心を浮き立たせていました。一方で、そうはいっても相手があることですから、本当に指名してくれるのかという気持ちもなかったと言ったら嘘になります。

 正直にいうと、僕はセ・リーグに入りたいという思いがありました。子どものころからセ・リーグの試合しか見ていなかったので、パ・リーグにはどういう球団があるのかもあまり分からなかった。運よく視察に来てくれたスカウトの方は大洋(DeNA)、広島、ジャイアンツ。だったらセ・リーグに行きたいなと。

 大学は正直、あまり行きたくなかった。体育会系特有の上下関係が僕らの時代には強かったんです。高校時代もすごく厳しかったし、野球ではない部分での厳しさはもういいかなと。もちろん、プロの世界でも上下関係はありますし、社会人でもあったと思いますが、18歳の自分はそういうふうに思っていました。

 ドラフト当日は、会見場を用意してもらって監督と野球部の部長、校長先生と4人で座って会議の様子を見ていました。次々と選手が指名される中で大洋に単独1位指名していただいて、うれしかったです。

 いま振り返ってみても、すごくいいチームに入ったなと思います。例えば通算3021試合出場も、大洋に入っていたからこそ達成できた。仮にジャイアンツや広島に入っていて、ここまで来られたかと思うと疑問です。これは今になって初めて分かること。当時は、3000試合などという、とんでもない目標を立てられるわけがありません。2000安打を打てたというのも、僕が持っていた運じゃないかと思います。

 よく運命のドラフトと言いますが、本当にそうですよ。僕の時代は、自分の行きたい球団に行けないという葛藤もあったとは思います。FAも当時はまだなかった。しかし、どの球団に入っても、何らかの道は開かれる。道が閉ざされることはないと思うんです。

 ファンということでいえば、僕は広島の田舎で育ったのですが、いまだにジャイアンツファンですよ。じゃあ、どうしてもジャイアンツに入ってプレーしたかったかというと、それはなかった。ファンとしての気持ちと、仕事としてのプロ野球は当然、違います。逆に、ジャイアンツを倒してやろうという思いもありました。僕が入ったころはやはり、ジャイアンツを倒してこそ価値が出るという時代。いまもそういう空気が多少は残っていますが、とにかくジャイアンツを倒したらメディアにも大きく取り上げられた。実際、対巨人戦は他球団と当たる以上に燃えましたね。

一番大切なのは好きな野球をプロでやりたいという気持ち


清宮も決まったチームで大きな目標を持ちながらプレーすることが重要だ


 ですから清宮幸太郎選手(早実)も、プロへ行くのであれば、決まったチームで、自分がどういう選手になっていくかという大きな目標を持ちながらやっていってもらいたいと思います。

 ドラフトというのは親御さんの意向や、過去にはお金や政治的な部分などいろいろな問題がまとわり付いてきた時期もありました。

 その中で一番大切なのは、好きな野球をプロでやりたいという気持ちだと僕は思います。純粋にそう思ってやってもらいたいです。

 僕は運よくというか、自分の素直な気持ちで27年間やってきました――純粋に野球が好きで、純粋に勝ちたい、純粋にうまくなりたい。今年のドラフトにかかるような選手も清宮選手に限らず本当に純粋にそれまで野球をやってきたと思いますから、その指名されたチームに入ったら、今度は勝つために自分がどういう成績を残したいというのを真剣に考えて、お金というのはその後についてくると思うんですよね。

 清宮選手も好青年と聞いていますし、スターになる素質も十分にあると思います。だからこそ余計に、ムダなことでつぶれてほしくはありません。

正捕手が固定されず30歳手前が多いチームならチャンス


中村も出場機会が多くなりそうなチームに入るのがベスト


 高校野球のスターは清宮選手だけではありません。今年の夏の甲子園では、広陵高の中村奨成捕手が初戦で2発ホームランを打ったのを皮切りに6本塁打と、一気に評価を上げました。広島のスカウトの方が「谷繁といい勝負だ」と言ってくれたようです。

 見る限り、キャッチャーとしての雰囲気もあるし、スローイングもしっかりしているし、バッティングも力があると思います。力がないとライト方向へ2本も打てるものではないですから、体の強さがあるのでしょう。

 中村選手がプロに入った場合、1年目から一軍に上げて使うべきか、しばらくはファームで鍛えるべきなのか。それは本人の能力がどうこうという以前に、入るチームによって全然違ってくると思います。

 僕みたいに、当時の大洋のチーム事情があって、1年目から一軍の試合経験を積ませて、3〜4年後には一流のキャッチャーに育て上げるという戦略、プログラムを立てる球団もあると思うんです。

 でも、勝たなければいけないチーム、上位にいるチームというのはある程度キャッチャーの粒がそろっているわけです。そこで併用ということになると、経験値も上がっていきません。育つスピードも遅くなると思います。

 ですからレギュラーを固定していない、半レギュラークラスの選手がひしめくチームの中でも、30歳手前の選手が多いチーム。そういうところに入れればチャンスはものすごく広がってきます。

 その観点で各球団のキャッチャー事情を見てみましょう。

 たとえば、広島でいうと大ベテランの石原慶幸會澤翼がいますが、もう一人、日大三高出身の坂倉将吾という1年目のキャッチャーがいて、将来を嘱望されています。ここに中村選手が入れば、坂倉との競争になります。2人のうちどちらかしか試合に出られません。同じような高いレベルの選手が2人いるというのは首脳陣としては助かるんです。でも、個人のことを考えると、もったいないと思います。

 いい評価をしてもらって入った選手には、やはり試合に出て頑張ってもらいたいという思いが僕にはあるんです。ポジションが変に重なって両方中途半端に終わってもらいたくありません。

 ジャイアンツは、今年は小林誠司がずっとマスクをかぶっていますが、トータル的に考えると食い込む余地はあるのではないでしょうか。確かに小林は肩が強い。しかし、打撃に関しては今年の本塁打は2。広陵高の先輩後輩ですが、グラウンドに出たらそんなの関係ありません。

 阪神は、梅野隆太郎坂本誠志郎にしても大学から入っていますから、チャンスはあると思います。DeNAにしても絶対的な扇の要はまだいません。ドラゴンズも高校出身の捕手が一人もいなくて全員が25歳以上。勝負できるでしょう。

 一方、パ・リーグのほうは、ソフトバンク甲斐拓也が頭角を現してきた上に、高校から入った選手も2人くらいいる。西武森友哉にいずれは捕手をやらせることを考えると、割って入るのは難しいでしょう。

 こうして見ると、球団によっては、特に広島以外のセ・リーグなら1年目から一軍で勝負できる可能性は十分にあると思います。

 まあ楽しみな選手が多ければ多いほど野球が盛り上がっていいじゃないですか。ましてや高校生のキャッチャーで騒がれる存在というのは最近いなかっただけに、中村選手がどのチームに指名されるのか、注目せずにはいられません。

写真=BBM

●谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)
1970年12月21日生まれ。広島県出身。江の川高から89年ドラフト1位で大洋(現DeNA)入団。2002年FAで中日へ。14年から監督兼任。16年から監督専任も同年8月9日付で退任。現役生活27年の通算成績は3021試合出場、打率.240、229本塁打、1040打点。
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