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キセキの魔球

【キセキの魔球18】未完のナックルボーラー、“象のグラブ”で富山に参上。

 

2017年6月19日。大家友和は現役引退を発表した。日米を股にかけて活躍した右腕だが、もしナックルボールと出合っていなければ41歳まで野球を続けることはなかっただろう。どこまでも野球と愚直に向き合った大家とキセキの魔球を巡る物語――。

微妙な思いを持つナックルボーラー


フィル・ニークロ(写真)、ホイット・ウィルヘルムの成功に貢献したポール・リチャーズが“象のグラブ”を考案した


 ナックルボールを本格化させてから半年後の2013年春、大家友和は、独立リーグの富山サンダーバーズに所属し、いよいよ実戦でナックルボールを投げ込む段階に入った。富山行きに先駆け、彼はナックル専用のキャッチャーミットを特注している。パームパッドが薄く、ファーストミットの形状に近いものだった。

 キャッチャーミットが通常のグラブと違って厚みがあるのは、毎回140〜160キロの速球を捕球することを想定しているからだ。構えたときの上下両端に分厚い緩衝材があてがわれ、他のグラブと比べて重い。しかし、ナックルボールの時速は約100〜120キロと緩く、それほど重厚なパッドを必要としないのだ。逆にミットの厚みでボールを弾いてしまう危険性が出てくる。不規則な変化に俊敏に対応するためには、軽量で扱いやすく、しかも捕球範囲を広げるため、大きめのものがいい。薄手になればそれだけ間口が広がり、捕りやすくなる。

 実は、このナックル専用のキャッチャーミットは、その昔、“象のグラブ”と呼ばれていた。まるで象の耳のように大きく、薄くパタパタとミットの口を開けたり閉めたり動くからだ。

 最初にこの“象のグラブ”を考案したのは、ナックルボール継承の功労者と言われるポール・リチャーズだった。野球殿堂入りを果たした4人のナックルボーラーのうち、ホイット・ウィルヘルムとフィル・ニークロの2人の成功に大いに貢献した人である。もともとキャッチャーだったリチャーズは、1950年代後半、ボルティモア・オリオールズ監督時代に自分の選手だったウィルヘルムを受ける捕手を守るため、外周が105センチ、上下幅45センチもある特大ミットを作らせた。どうしてそんなミットが必要だったかと言えば、例えばある年、オリオールズは合計49個もの捕逸を許している。リーグ平均の3倍以上の数字である。その半数以上はウィルヘルムのキャッチャーの失策だった。あるいはエディー・フィッシャーの球を受けたキャッチャーが、揺れ動くナックルボールをさばききれず、ボールを顔面に食らい、右目上15針、右手人差し指5針縫う大ケガをした例もある。

『The Knuckleball Club』という書物の中で、エディー・フィッシャーの球を受けた捕手は語っている。

「私は、ホームプレートから2メールから1メートル半手前でナックルを見極める。最後に変化するのがその辺りだからだ。でも、それも定かではない。さらに変化するかもしれないのだ。特大グラブでなんとかボールの一部だけでもとらえようとする。目標は一つもパスボールを出さないこと。最終的な目標は、一度も下にボールを落とさないことだ」

 ナックルボーラーはキャッチャーにミスなくボールを止めてほしいと思っている。しかしその一方で、あまりにソツなくさばかれると、逆に不安にかられるそうで、その思いは非常に微妙だ。フィル・ニークロを専属で捕球した人が告白している。

「ナックルボールの専属捕手として扱われるのはとても特別な気持ちがするし、私はニークロの存在と、彼の専属であることによって選手として成長してきたと思っている。しかし彼は私がミスをするとこう言うのだよ。それは自分のナックルが効果的であることのいいサインだとね。ところが私がうまくさばき過ぎると逆に、ナックルの調子が悪くて、簡単に捕れる程度にしか変化しなかったのかとがっかりすると言うんだ」

 ちなみに1965年、大リーグは特大ミットに制限を設け、外周95センチ、上下幅37.5センチを上限としている。

ナックルボーラー1年生


 特注“象のグラブ”を富山に持ち込んだ大家友和の女房役は、独立リーグ1年目の捕手、小林大誠だった。

「ナックルはとても繊細なボールで、風向きや湿気に影響を受けます。ナックルはランナーが出ると盗塁されやすいので、自分は肩を買われて使ってもらっているので、ランナーを気にさせないように、大家さんがピッチングに集中できるようにやっていこうと思っています。ここぞというときにナックルで攻めるんですけど、初回とか、カウントが悪くなったときや、ボール球で外したいときは、真っすぐやカットボールを要求することもあります」

 この年、大家はプロ20年目の37歳。片や小林はプロ1年目の19歳。この2人がバッテリーを組む。大家は当時を振り返ってこう語っている。

「僕も、ナックルボーラーとしては1年生みたいなものですから、新しいものに何かを求めようという意味では、独立リーグの選手も僕も同じでした」

 ナックルボーラーの挑戦に最初にチャンスをくれたのは、当時、富山サンダーバーズ監督の進藤達哉氏(現横浜DeNAベイスターズGM補佐)だった。大家にとってはメジャー・デビューする以前に所属していた横浜ベイスターズの先輩である。

「ナックルボールは(どこへ行くのか)ボールに聞いてくれという球なので、まあ、うまい具合に自分が意図しているところにコントロールできるかどうか。風の影響も受けますし、無回転で来れば、若干ズレても変化しますし、湿気があるとすごく揺れるので。この2カ月でナックルも随分とよくなってきてますよ。最初は代理人のほうから話がありまして、本人もこれ(ナックル)でやってみたいと言うんで、私は彼に言ったんです。ここはベースボール・チャレンジリーグ(BCリーグ)なので、じゃあ、チャレンジしなさいと。彼にはアメリカでのマイナー・リーグの経験もあるし、その部分でも今の若い子たちにいろいろとアドバイスもできるでしょう。ナックルボーラーというのは、日本の球界にはいなかったスタイルなので、次はどのタイミングで、(NPBの)12球団なり、アジアの各国なり、アメリカのチームなりに見せるかということはありますけれど……」

神経を研ぎ澄ませ、一点に集中


 BCリーグのチームは本拠地スタジアムを持たず、試合ごとに地元県内の市民球場をまわる。かつて大リーグの豪華球場で投げてきた大家が、ときに観客が500人に満たない試合で投げることもある。しかも彼が投げ込むのは、ほとんどの人が見たこともないナックルボール。ときにはスタンドから容赦なくヤジが飛んだ。

「大家、真面目に投げろ!」

 ナックルボールは他のピッチャーが投げる球に比べて緩く、人を食ったように見えるのだ。ヤジは打者にも向かう。まるで小学生が投げるような緩い球を何で打てないんだと、敵チームのファンはいら立つ。

「だいたい小学生は(ナックルボールを)投げないですけどね。でも、僕は何も言い返せなかった。そう言わせたのも僕のせいだし」

 彼の投げるナックルの精度が高まれば、そのヤジを、あの遅い球でどうして打ち取ることができるんだろうという反応に変えることができただろう。そうやって、ナックルボールの実体はいつも偏見と隣り合わせに存在している。例えば、日本でかつて投げ込まれていた無回転フォークと混同視されるように。

「絶対違います、似て非なるものです。確かに、無回転フォークは揺れるし、落ちる。でも、全部それをほうるんじゃないでしょ。そもそもそういう人って、真っすぐにターゲットを絞りながら、そのボールをほうりにいく。真っすぐと見せたいわけですから。僕らのやっていることは、はなっからナックルって分かっていて打ちにくるわけですから、騙し討ちじゃないですもの」

 ナックルボールは変化球の一つという概念をもはや超越してしまうのか。

「球種ということで分けていってしまうと、握りを変えただけで、投げられてしまう。でも、ナックルボールは練習量もそうだけれど、考え方とか、バックグラウンドとかがあって、そこにたどりつくわけで、だから、一つの球種としてナックルを投げている人はいますけど、多分、それはナックルボールなんでしょうけど、向こうで(アメリカ)のピュア・ナックルボーラーではないですものね」

 ティム・ウェイクフィールドのように、アメリカのナックルボーラーたちの中には、ナックルに必要なのはまさに「Zen=禅」の心だという人がいる。

「神経を研ぎ澄ませ、一点に集中しろということでしょうね。ただ、僕もそう理解はできるんですけど、それじゃあダメだとも思っているんです。いかに無意識下でできるかということなので、もう身についていないと、その辺の丸っこいものを持ったらできるとか、それくらいじゃないと。日常的にプレッシャーをかけられた中で戦うスポーツだから、目の前のバッターに集中して、ランナーとランナーを見て、相手の作戦を考えて、自分の投げる球を決めていかなきゃいけない状況で、いちいち意識しないとできないのでは、多分、ダメなんですよね」

 この時期の彼は、無回転の確実性と再現性を求め、登板でナックルを投げ込む割合を目標の8割、9割に引き上げるため、ひたすらナックルボールと格闘していた。一つ確かなことは、たとえそれが小さな市民球場であったとしても、彼は大リーグ球場で投げ込むのとまったく変わらないスタンスとモチベーションで未完のナックルに全力で取り組んでいたということだ。プロ野球選手にとって、ベースボールは球場という舞台で繰り広げるショーである。富山の独立リーグで投げる先には、最終的にそのボールを最高峰の舞台で主役に立たせたいという夢があった。

 ある日、富山の試合でバックネット裏に座る親子がいた。小学生の息子に父が言う。

「これから彼が投げるのは、ナックルボールという球だよ。回転しないんだ。そしてものすごく揺れて、落ちる。よく見ておくんだよ。目に焼き付けておくんだよ」
 
<次回11月1日公開予定>

文=山森恵子 写真=Getty Images
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