今年で68回目を数える日本シリーズだが、印象的な激闘は多々ある。ここでは過去の名勝負、名シーンを取り上げていこう。 日本シリーズ初登板で最高の投球
MVPを獲得し、仲間から空高く胴上げされた岸。「『どこまで上がるかやってみようぜ』って帆足さんが言い出して。悪ふざけですよ」と岸
物静かな男が、大仕事をやってのけた。2008年11月5日、
巨人対
西武の日本シリーズ第4戦(西武ドーム)。西武先発の
岸孝之が負ければ王手をかけられるという重圧をはねのけ、日本シリーズ初登板ながらも最高のピッチングを見せ、日本一への流れを呼び込んだ。
三番・
小笠原道大、四番・
ラミレス、五番・
李承ヨプの主軸を同シーズン通じてわずか3度目となる無安打に沈黙させた。それだけでも巨人に甚大なダメージを残したというのに、その上、史上初となる毎回奪三振での完封劇。普段はたびたび過緊張に襲われる繊細な右腕が、これ以上ない大舞台で投じた147球が、巨人に傾きかけていた流れを止めた。
わずか4安打に抑え、三塁すらも踏ませない投球。その球質の良さは、
渡辺久信監督が7回を投げ終えたところで「最後まで行く」ことを岸自身に告げたほどだった。
岸自身も「最後まで手応えがあった」と胸を張ったように、ストレートとチェンジアップ、スライダーはいずれも鋭くコースを突き、落差の大きなカーブを交えて巨人打線を最後まで翻弄した。
とりわけ、抜き差しならないフルカウントからのピッチングは圧巻だった。生来、デリケートな男が、一歩間違えれば自滅につながりかねない場面で、勝負強さを見せた。
この日、フルカウントとなったのは計9回。そのうち三振に斬って取ること5回。その上、クリーンアップから6三振を奪う快投。「ここぞというところで決まってくれた」と振り返る岸のボールの威力は、巨人打線の諦観を誘うほどだった。
指揮官は「岸と心中」と覚悟
渡辺監督(左)の岸の思い切った起用が日本一へと結びついた
まさに手も足も出なかった巨人の、まさしく天敵として立ちはだかる。岸のボールにまったくタイミングの合わない巨人打線を見て、岸の中2日でのロングリリーフを渡辺監督が思い描いたのも当然の流れだった。
そして、2勝3敗で迎えた、負ければ巨人の日本一が決まる、11月8日の第6戦(東京ドーム)、渡辺監督の頭の中では「今日はいいところで岸、というのが試合前からのプランだった」という。3対1と西武がリードした4回裏に、その場面は巡ってきた。制球の定まらない
帆足和幸が一死一、三塁とされたところで、指揮官は迷うことなく背番号11をマウンドに送り込んだ。
「正直、中2日は考えていませんでした。その日の昼にあるかもしれないと電話があって。その電話があるまで完全にスイッチオフでした(笑)」
期待に応えて岸は
坂本勇人を中飛、
鶴岡一成を空振り三振でピンチをしのぐと、疲労をまるで感じさせないピッチングを披露。当初、岸の登板は打席が回ってくるまでのひと回りの予定だったという。ところが巨人打線には、3日前に手も足も出なかったカーブに対する“処方箋”がまだなかった。この日もタイミングが合わない。これを見た渡辺監督は「流れを変えたくない」と、岸を代えようよしなかった。「最後まで投げ切るという気持ちがすごく出て、今日は最後まで岸と心中のつもりだった」(渡辺監督)。
4対1の8回裏一死一、三塁のピンチを背負うも、「内野陣が集まってきて、誰かに『お前が打たれても俺が打つよ』と声をかけられたんです。そしたら『いや、俺が打つ』『じゃあ俺も!』とみんなが言い出して。ダチョウ倶楽部のあれです。だから、自分、ニヤニヤしていたはずです」と岸。明るい雰囲気にも助けられて、最後まで投げ抜き4安打無失点。第4戦から合わせて12回連続奪三振という日本シリーズ史上初となる記録もマークして、第4戦で引き寄せた流れをさらに、自らの手で西武へと傾けさせた。
第7戦、チームは3対2と逆転勝利を飾り、4年ぶりの日本一。岸はMVPに輝いた。2試合で238球の熱闘。岸は「ひと回りもふた回りもチームの皆さんに大きくしてもらった」と言ったが、かてつは日本シリーズでエース級の投手が、先発・リリーフを問わず大車輪の働きをするのが当たり前の時代があった。その究極が西武の前身にあたる西鉄ライオンズの
稲尾和久であり、巨人相手に連投に次ぐ連投を見せた。その稲尾の再来というのはオーバーにしても、不屈の「238球」は、そんな昭和の良き時代の空気をよみがえらせてくれた。
写真=BBM