表彰式で広島ナインを見つめる近鉄ベンチ。左端が西本監督だが、その目はなぜか穏やかだった……
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月2日だ。
1979年、大阪球場での日本シリーズ第7戦、あの“江夏の21球”で広島が初の日本一をつかみ、球団創設以来初のリーグ優勝を果たした近鉄は、頂点を目前に散った。近鉄の
西本幸雄監督にとっては、大毎、阪急時代から続く、7度目の日本一へのチャレンジとなるが、またもかなわなかった。
翌80年、プレーオフで
ロッテを破って勝ち上がった近鉄は、ふたたび日本シリーズで広島と当たる。第5戦に勝利し、3勝2敗と王手をかけた近鉄だが、第6戦には敗れ、決着は、またも第7戦にもつれ込んだ。
先発は近鉄が
井本隆、広島は
山根和夫。これは第4戦と同じ顔合わせで、このときは井本が2失点完投も山根は1点も奪われず、完封で勝利を飾っていた。
11月2日、舞台は前年の大坂球場ではなく、広島市民球場だった。ただ、当時のファンの雰囲気は、「今年は西本さんに勝たせてやってもいいんじゃないか」というものだった。みな闘将の長いドラマを知っていたからだ。
広島は3、5回に1点ずつを奪い、2対0と先制。近鉄打線も意地を見せ、6回表、
小川亨、
石渡茂の適時打で3点を奪って逆転した。しかし広島は強かった。続く6回裏から3イニング連続2得点。8対3で勝利し、西本監督の日本一への挑戦は、またも失敗に終わった。
選手たちは泣きじゃくった。負けた無念さより、「またオヤッさんを日本一にできなかった」ことを悔いた。
広島・
古葉竹識監督の胴上げに背を向け、西本監督はベンチ裏の小さな部屋に全選手を集める。そのときナインたちの中に1つの疑念があった。「このまま勇退するんじゃないか」。夏場には胃を痛めていたのか、どす黒い顔をしていたときもあった。もちろん、弱音はいっさいなかったが。
しかし、西本監督は穏やかな顔をし、淡々と語った。
「みんなよくやった。このシリーズ、いったいどこが敗因か。これから来年に向かって、どんな点を反省し、やってゆかねばならぬか。みんな一人ひとりがいい勉強をしたと思う。バファローズは、これから本当の日本一へ強くなっていくんだ」
その後、この後の練習の日程を説明したという。敗北の痛みを、必要以上に背負わせないためだったのかもしれない。
部屋を出て、記者たちに囲まれた西本監督は「俺の闘志は消耗していない。疲れてもいない。俺は元気だ」。ちょっとはにかみながら言ったが、すでに引き際は決めていたように思う。
翌81年限りで勇退。その後、一度もユニフォームは着ていない。
写真=BBM