03年は故障で出場なしだったが、00年から3年連続30本塁打以上。不動の四番だった小久保
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月3日だ。
2003年11月3日、圧倒的な強さでリーグ優勝、さらには
阪神を破って日本一を飾った福岡ダイエーホークスが大きく揺れた。
前日に福岡市内で祝賀パレードを行った後、翌3日の午前10時から緊急記者会見を開き、
小久保裕紀の
巨人への無償トレードが発表。その場では説明はなかったが、公私混同のウワサがあった当時の球団社長に対し、選手会長時代の小久保が毅然と抗議し続けたことが確執となって放出話が起こり、小久保自らも移籍を希望したことで急きょ実現したらしい。ただ、なぜ無償だったのかは、いまもはっきりとは分からない。
ダイエーの
王貞治監督も直前に伝えられたようで記者たちの質問に対し、混乱した表情を浮かべながら、「保有権を持ちながらの放棄がまかり通ったら、チームの崩壊につながりかねない。これは監督としてではなく、球界OBとして言っている。俺は監督だからということではなく、誰にも納得できる説明にはならないだろう」と語気を強めた。
03年は故障で棒に振ったが、低迷時代からチームを支えた主砲で、紛れもないチームの精神的支柱でもあった。それだけに仲間の選手も大きなショックを受け、怒りまくった。小久保の後の選手会長だった
松中信彦は「ふざけるなと言いたい。来年連覇したいという気持ちが急激に薄れています」と言い切った。
小久保はその後、07年にFAで
ソフトバンクと変わった古巣に復帰した。
写真=BBM