プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月13日だ。
80年以上続く、日本プロ野球の歴史。それが唯一“休止”したのが、1944年11月13日だった。
太平洋戦争中、アメリカ生まれの野球は、敵性スポーツとして軍部(主に陸軍だったという)に目の敵にされた。戦局の悪化によって当然ながら年々圧力を増したが、戦闘帽をかぶり、ユニフォームは国防色、さらにチーム名の漢字化やストライクを「よし1本」とするなどして、なんとか存続の道を探った。
44年には「戦力増強に関係のない娯楽は休止」という政府発令もあったが、連盟は「野球報国会」と改称、選手を「軍需要員」として軍需産業の工員をしながら試合をするなど、さらに、さまざまな策で“延命”を図った。
多くのチームが解散、統合し、残ったのは巨人、
阪神、阪急、近畿日本、朝日、産業の6チーム。それでも春、夏のリーグ戦はなんとかこなしたが(1シーズン制ながら春、夏、秋にも分けられていた)、応召選手の増加で、ほとんどのチームが編成不可能となり、8月30日を最後についにリーグ戦中止を余儀なくされた。
驚くのだが、その後もしぶとく試合は続けた。9月9日からは「日本野球総進軍優勝野球大会」を開催。単独チームではメンバーが組めず、2チームを合体させて行ったものだ。
しかし、まさに万策尽きるときが来た。10月23日、活動休止に関する申し合わせを行い、11月13日、東京会館で「一時休止」声明を発表。すでに各地で空襲があり、野球再開など到底不可能に思えたが、このときでさえ、休止の前に「一時」をつけた関係者の思いには、ただただ感服する。
写真=BBM