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プロ野球デキゴトロジー/11月22日

42歳・若林忠志の奇襲先発が実り、毎日が初代“日本ワールドチャンピオン”へ先勝【1950年11月22日】

 

力投する若林。制球重視のフォームのようだ


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月22日だ。

 セ・パ分立初年度の1950年。セの王者・松竹ロビンス、パの王者・毎日オリオンズが「第1回日本ワールド・シリーズ」(現日本シリーズ)で激突した。

 11月22日、その第1戦(神宮)で毎日の先発マウンドに立ったのは、意外な人物だった。若林忠志、“七色の変化球”を操った日系人の伝説的大投手だ。どこが意外なのかと思うかもしれないが、当時すでに42歳で兼任監督でもあった(総監督に湯浅禎夫がいたので、実質ヘッドコーチ)。しかもシーズンでは14試合しか投げていなかったのだから、まさに奇襲である。

 先発は本人の志願だった。「ほかのやつはあがっちゃう。一番いいピッチングができる選手は僕」という若林に、湯浅総監督は「いい年なんだから」と反対したという。

 若林は「だったら味方に投げてみるから」と打撃練習のマウンドに立ち、完ぺきに抑え込んだ。さらに、そこから1カ月ほどあったというが、第1戦の配球を徹底的にシミュレーションし、初球は「外角にわずかに外れる球」と決めていた。

 想定どおりのピッチングで、松竹の先頭打者・金山次郎をサードゴロに打ち取ると、あとはのらりくらりの老獪なピッチングで9回を終え、松竹自慢の「水爆打線」を失点1に抑え込んだ。ただ、松竹の先発・大島信雄も好投し、試合は延長戦に突入。12回表に毎日が2点を取ると、その裏、若林は反撃を1点で食い止め、毎日が3対2で勝利。若林は161球の完投勝利だった。

 毎日はこれで勢いに乗り、4勝2敗で初代「日本ワールドチャンピオン」となっている。

写真=BBM
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