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キセキの魔球

【キセキの魔球22】最もじれったく、最も愉快な球。ナックルボールに魂が乗り移った!

 

2017年6月19日。大家友和は現役引退を発表した。日米を股にかけて活躍した右腕だが、もしナックルボールと出合っていなければ41歳まで野球を続けることはなかっただろう。どこまでも野球と愚直に向き合った大家とキセキの魔球を巡る物語――。

ナックル探求に情熱を注いだアマチュア愛好家が書いた本


ナックルを題材にした本、『The Knucklebook』をアメリカの名だたるメディアが取り上げた(写真は元広島ジャレッド・フェルナンデスのナックルの握り。写真=BBM)


 寝ても覚めてもナックルボールのことばかり考えているというデイブ・クラークという人が書いた『The Knucklebook』という本がある。サブタイトルは、ベースボールにおいて最もじれったく、最も愉快な球、ナックルボールを知るためのすべて、とある。100ページちょっとの薄手の本には、投げ方、打ち方、捕り方、教え方、審判のし方、そして鑑賞のし方まで、ナックルボールに関するほとんどすべてのテーマがぎっしりと詰まっている。このクラークという人は、あらゆる職種に就きながら、人生の大半をナックル探求に情熱を注いできたアマチュア愛好家であり、プロの執筆家ではないのだが、興味深いことにアメリカの名だたる新聞や雑誌が書評で彼の作品を取り上げた。たとえばある編集者は「クラークは、ベースボールにおける最も手に負えない球を深く掘り下げ、痛快なスイトライクを投げ込んだ」と称賛している。彼の個人的な趣味に注がれた熱量の高さと愛が、ナックルボールというマニアックな世界の扉を開き、そこに文化的価値を見出すに至ったのだ。

 本の前半では、ナックルボールはなぜ揺れるのか、と、その根本に迫っている。彼の分析と、近年ニューヨークタイムズで紹介された記事からナックルの物理を考察すると次のような説明になる。

 たとえばバックスピンがかかる速球の場合、物体が回転することによって周囲の気流が変わり、その反作用として上向きの揚力=マグナス力を受けることで、ボールは重力に逆らって伸びながら飛んでいこうとする。

 ところがほぼ無回転で投げ込まれるナックルボールに、マグナス力は働かない。ナックルにおける空気力学でカギを握るのは、わずか高さ0.5ミリのボールの赤い縫い目である。ボールの縫い目と大気が衝突することによって後方に乱気流が生じるのだ。ここで大切になるのは、ボールが低速であることと、最低限のスピンが必要なことだ。ナックルは通常の投球よりもホームプレートに到達するのが平均して0.2秒遅いとされるが、これによって空気抵抗を受ける時間を稼ぐことができる。さらに無回転ボールと言われるナックルも、実際には少なくとも4分の1回転はしていると言われ、このわずかな順回転によって縫い目の位置が動くことにより乱気流が生じる。縫い目のどの部分が空気と衝突するかを突き詰めると、それによってさまざまなボールの揺れ方を生み出すことができ、予兆不可能と言われるナックルの動きをだいたい予想することができるようになるというのだが、ここまでくるともやは神業である。言い換えれば、ナックルボーラーとはこの神業をそれぞれの方法で実現しようとしている者たちなのだ。

 また別の有力紙は、神経科学者の見解として、ボールが揺れて見えるのは、ほとんど“錯覚”かもしれないと別方向から分析している。バックスピンがかかった高速のボールと違って、ナックルボールはその縫い目がくっきりと刻まれながらバッターに向かってくる。バッターはその縫い目が現れたり消えたりするのを視覚的にとらえているが、その視覚に脳の反応が追いつかず、その結果ボールが急に飛び跳ねたり、揺れたりするのではないかというのだ。

 ある書評家はクラークの描いた『The Knuklebook』の読後感をこう説明している。

「この本を読んで私が気付かされたこと。それは、どう転んでも私にはナックルボールを到底投げることはできないということだ」

 著者のデイブ・クラークは、自身のホームページで時々ナックルボーラーの近況を伝えているが、2014年、アメリカ独立リーグのブリッジポート・ブルーフィッシュで元メジャー・リーガーの大家友和がナックルを投げている! と、その動向に注目している。

進化させた新たなナックルボールを模索


 さて、その大家は2015年、再び日本の独立リーグのBCリーグ、富山サンダーバーズに戻り、ナックルボールの鍛錬に勤しんでいた。このときの富山の監督は、巨人や近鉄で活躍した吉岡雄二。投手コーチはドラフト1位指名で横浜に入団した元ベイスターズの秦裕二。秦は大家にとってベイスターズの後輩にあたり、二人はオフシーズン、ともにトレーニングを積むこともあった。

 富山県高岡市にある城光寺野球場の室内練習場のブルペンでは、まさに一球入魂の投球練習が行われていた。アメリカで1年間投げたあと、大家はさらに進化させた新たなナックルボールを模索していた。空振り三振を奪うナックルである。そのためにも出力を上げ、速いナックルを目指さなければならなかった。原理的には、スピードが上がればそれだけ空気抵抗が増してボールの変化は大きくなるはずだ。しかし高速化するとボールが回転しやすくなるという危険性もはらんでいた。速いナックルを投げ込んだ上で、いかにその精度を保てるか、そこが究極である。

「コーチ、いいですか?」

 大家は、コーチの秦にバッターボックスに立ってもらうよう促した。

「70です!」

 捕球するキャッチャーが投げ込まれた投球数を大家に伝える。

「さあ、行こう!」

 キャッチャーが大家を勢いづける。

「今のスピードある?」と、大家が秦に聞く。

「はい、でも、もうちょっと出ると違いますか?」と、秦。

「今、ええ感じできた」と、大家。

「大家さん的にはどうですか?」

「ターゲットを絞ると、きっちりとほうり込もうとしてしまう悪い癖が出てしまうなあ」と大家。もともとコントロールのいいピッチャーである。この辺りにほうっておけば何かしら起こる、というようなやんわりとしたナックルボールのストライクゾーンに馴染むには相当な葛藤があるはずだ。

「今のボール、いいです! ストライクです」と、キャッチャー。

「ちょっとようなってきた」と大家。その数球後、秦が言う。

「ちょっと回転しています」

 そして、次のボールに対しては、「ナイスボール!」。

「バントもできない!」と、キャッチャー。

 途中からブルペンに姿を現した監督の吉岡もナックルの一球一球に注目する。

「今のいいね」「ああいうのいいね、俺、全然いいと思うわ」と、吉岡。

 ブルペンでの投げ込みを見守ったあと、吉岡は大家についてこう語っている。

「僕の願いとしては、独立リーグというレベルに(自分のレベルを)落としてほしくないんです。審判の方もナックルをコールしたことがないということで、ストライクゾーンが狭くなってしまうとか、その辺りの苦労はあると思います。先発として試合を作らないといけないですし。それでも大家には本当にやりたいことから一歩引いてほしくない。もともとナックルではない投球で這い上がった男です。しかし、そこに限界を感じて自分をモデルチェンジした。決断するまでには葛藤があったと思います。彼の意思の強さを僕はリスペクトしていますから」

 秦は、大家がナックルボールを投げ始めたころからそのボールの成長ぶりを知っている。だが、キャッチボールのとき、大家は秦にあえてこう言った。

「前と同じイメージは持たないほうがいいよ」

 つまり、以前とは揺れ方がまったく違うからだ。それほど彼のナックルは進化していた。その道のりは、日々少しずつ進化してはまた失っての繰り返しだった。

「たとえばAという投げ方をしていたとします。ある日、Bという方法を見つけます。AではなくBだったのかと気付く。でも、待てよ、BというのはAプラスなのかもしれないと思い始める。つまり、BはAが進化したんだと」

 そして彼は、日々自問自答していた。

――この生みの苦しみに耐えられるのか、逃げ出すのか、逃げてまた戻るのか、逃げたままなのか、そもそもこのボールを投げる資格があるのか……。

 もしも逃げずに野球を続けることを選ぶなら、自分がナックルボーラーとしてのたうちまわったそれまでの数年間と同じ苦しみを味わう覚悟が必要だった。そして、このときの大家友和にはまだその覚悟が残っていたのだ。だからその思いに応えるように、ナックルは日々進化していたのだ。

生き続けていたナックルボール


BCリーグ・富山退団後、メジャーでも活躍した岩村明憲が率いる福島へ大家は入団した(写真=Getty Images)


 ところが、思いもかけなかった事態が起こった。8月、大家は富山を離れることになる。それによって彼のナックルは再び行き場所を失った。

 そんなとき手を差し伸べたのが、大リーグで4年間プレーした経験を持つ福島ホープスの監督、岩村明憲だった。ホープスはそのシーズン、BCリーグ7番目のチームとして創設1年目ながら後期の地区優勝を狙っていた。前期優勝の新潟アルビレックスBCと、追い上げる群馬ダイヤモンドペガサスとの熾烈な優勝争いの最中、もう一敗も許されない、そんな状況下で大家は福島にやって来た。

 9月13日、ついにホープスは後期地区優勝を決め、レギュラーシーズン最終戦で大家は約2カ月ぶりに先発登板することになった。相手はなんと、西地区で後期優勝を決めていた富山サンダーバーズだった。ともに優勝チーム同士による、プレーオフ直前の消化試合という位置づけだったが、大家にとってこの試合の意味合いは大きかった。突然、富山を出ることになったとき、かき乱されたさまざまな思いをどうやって浄化し、その苦味をエネルギーに変え、その上で最高のナックルボールを投げ込むことができるのか。自分という人間を理解してもらうためには純粋な野球を見せつけるしかない、そんなふうに彼は思っていただろう。

 9月15日、福島県本宮市しらさわグリーンパーク、2015年レギュラーシーズン最終戦。試合開始時はほぼ無風状態だった。1回表、大家はまず先頭打者、岡野をレフトフライに打ち取った。二番の大久保への2球目は微妙な判定によりボールとなる。高めから落ちるナックルをストライクとコールしてもらえないようだ。大久保を四球で出塁させ、一死走者一塁で、三番の大上戸を迎えた。大上戸へのナックルは何度か打者の左側に流れたように見えた。フルカウントからの6球目のナックルが、シャボン玉の泡のようにぽっと浮き上がった。打者のバットが空を切る。一つ目の三振を奪った。続く四番の望月に対しては、ボール球を二つ先行させたのち、見逃しのストライクでカウント2−2としてからの5球目、これも空振りの三振に打ち取る。二者連続三振で上々の滑り出し、ペースに乗る。

 2回表の先頭バッター板倉に対してはナックルを2球連続でファウルボールにしてカウントで有利に立つと、大家は突然、横投げでナックルを投げ込んだ。続く六番の鈴木に対しても3球目に横投げ作戦。このボールを振らせて3つ目の三振を奪う。2回表の投球数はわずか11球。2回裏、味方が7得点で大量リードを奪うと、大家のナックルボールはさらに自信を高めたかのように、立て続けに初球を見逃しのストライクで先行していった。4回まで無被安打の好投で試合を作る。初被安打は5回二死からの三塁線へのヒットだった。5回を終え、無失点のままマウンドを降りた。捕球したキャッチャーの笹平は、ナックルの捕球をこぼしても慌てる様子はまったくなく、非常に落ち着いていた。試合は7対1で福島ホープスが勝ち、大家には移籍後初の勝ち星がついた。

 試合後、岩村監督はレギュラーシーズン最終戦をこう締めくくっている。

「今日はどうしても勝ちたかったです。大家さんには、いろいろな思いがあったと思います。古巣と対戦するときは、野手だとなかなか緊張しちゃうんです。ピッチャーだからできたことかもしれません。今日のような活躍は十分に想像していましたし、投げられるからこそ、彼には福島に来てもらいました。それによく応えてくれたと思います」

 この日投げ込まれたナックルボールは、新潟での102キロを上回る110キロを記録した。奪三振は5つ。試合中に追い風が吹いたとき、大家はディッキーから言われたことを思い出していた。追い風のときはボールへの抵抗が生まれにくくなるから、さらに力を入れて投げ込め。そして大家は思い切り腕を振った。

「個人的な感情はなるべく持ち込まないようにしていますけれど、今日はさすがに感情なしにはできなかったです。すごく抽象的な表現ですけれど、(ナックルに)魂が乗り移りましたね。今日はサンダーバーズをぶっつぶす! という気持ちでしたから」

 大家は、友人のジャレッド・フェルナンデスのナックルボールを見たとき、まるで生き物のようだったと表現したけれど、この日、対富山戦で投げ込まれた彼のナックルにもぴたりとその表現が当てはまった。あとはボールに聞いてくれといわれるナックルボールにも、その軌道にちゃんと意志があること、そして、富山を離れ福島で投げ込まれるまでの沈黙の期間もずっと、彼のナックルボールは生き続けていたことを、この日の投球は教えてくれたのである。

<次回11月29日公開予定>

文=山森恵子
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