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トレード物語

【トレード物語19】優勝請負人の江夏が日本ハムへ【1981年】

 

近年は少なくなってきたが、プロ野球の長い歴史の中でアッと驚くようなトレードが何度も行われてきた。選手の野球人生を劇的に変えたトレード。週刊ベースボールONLINEで過去の衝撃のトレードを振り返っていく。

古葉監督の決断


江夏豊日本ハム入団発表(左から大社オーナー、大沢監督、江夏


[1981年1月]
広島・江夏豊⇔日本ハム・高橋直樹

 1980年のパ・リーグ後期シーズンで近鉄と激しい戦いを繰り広げながら、最後は息切れして優勝を逃した日本ハム。その日本ハムを下して2年連続優勝した近鉄が、日本シリーズでは2年連続して広島に敗退。大沢啓二監督は、広島の守護神・江夏豊の姿を見て、自チームにも江夏のようなクローザーの必要性を強く感じていた。

 80年の日本ハムはクローザーが確立せず、先発要員の投手がリリーフに回っており、木田勇高橋一三の4セーブが最高という状態だった。江夏はシーズン中から「広島でのオレの仕事は終わった」と語り、去就が注目されていた。さらに、広島・古葉竹識監督の決断もあった。

 江夏を広島に留めておけば、81年のペナントレースを有利に戦えることは誰が見ても分かる。しかし、江夏に頼り切りの投手陣では、将来に不安がある。ここは思い切った手に出るチャンスではないかと考えた。若手投手の成長を喚起するためにも、江夏放出という“毒薬”をあえて飲んだのである。

日本ハム念願の初優勝へ


広島では結果が出なかった高橋直


 広島を2年連続して会心のリリーフで日本一の座に導いた江夏をめぐる各球団の獲得合戦。名乗りを挙げたのは西武ヤクルト、大洋、そして日本ハム。交換要員に西武は同じ左の永射保を、ヤクルトは井原慎一朗西井哲夫両投手を挙げたりしたが広島の希望に満たなかった。

 それに比べると日本ハムとなってからの“初優勝できる戦力”を必死に模索し続けていた大沢監督が用意した交換要員は古葉監督を納得させるものだった。それが、入団以来、東映時代から日本ハム時代までずっとエースとしての実績を挙げ続けてきた高橋直樹プラス、かつて広島にいた佐伯和司両投手だった。

 エースの座を堅く守り続けていた高橋直は、80年に入団した社会人野球、日本鋼管の後輩にあたるルーキーの木田の大活躍でその座を奪われた。木田が20勝を挙げたときもベンチを外れ、自宅で「オレをトレードに出すならいつでもどうぞ」と口走って球団を怒らせていた。

 結局、高橋直は11月11日にトレードを通告されたが、抵抗してなかなかクビをタテに振らなかった。年齢はすでに35歳。さらに“江夏との交換”も精神的な負担となったという。江夏はリリーフ、高橋直は先発。役割は違うが、江夏に負けない成績を挙げなければというプレッシャーがあった。

 しかし、広島側が江夏にプラスして、これも実力派の高橋里志投手をつけるという日本ハム側にとっては大きなプラスのトレードで、高橋直の抵抗もむなしかった。結局、年が明けた1月下旬に正式に成立し、21日に「日本ハム・江夏」が、次いで「広島・高橋直」がそれぞれ入団発表を行った。

 江夏は81年、自己最多の25セーブを挙げ、日本ハムを念願の初優勝に導いた。81年は2勝に終わった高橋直は翌年、シーズン途中に西武へ。86年には巨人へ移籍し、同年限りでユニフォームを脱いだ。

写真=BBM
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