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プロ野球デキゴトロジー/12月3日

星野ジャパンが北京五輪出場権を獲得【2007年12月3日】

 

台湾の空を舞う星野仙一監督


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は12月3日だ。

 歓喜の胴上げが始まった。日本代表・星野仙一監督が香港の夜空に舞う。2007年12月3日、星野ジャパンはフィリピン、韓国に続いて台湾を撃破し、3連勝で翌2008年の北京五輪出場を決めた。アテネに続き、オールプロで挑んだ大会の最大の敵は「世間の空気」だった。

 前年06年のWBCで世界一の称号を手にし、一気に日本野球のブランドイメージは上がった。周囲はアジア予選に向かう選手たちを「アジアでは勝って当たり前」の目で見た。さらに当時、北京を最後に野球競技の五輪開催が“中断”する方向で動いており、「野球復活のためにも金メダル」をという余計な重圧もあっただろう。

「負けたら日本に帰れない」

 台湾に立つ前、複数の選手が悲壮な言葉を口にした。

 まず12月1日のフィリピン戦にコールド勝ちし、2日の韓国戦は4時間を超える死闘を制した。この日の台湾戦に勝利すれば北京への切符を手にすることができる……。

 1回表、二死三塁で打席には四番の新井貴浩広島をFAし、帰国後阪神入団)。5球目が右ヒジに当たり、一塁に歩きかけたが、判定はファウル。星野監督も抗議はしたが、判定は覆らず、そのまま新井に「よし、いけ! お前が打ってかえせ!」と声をかけた。新井はその後、ヒジ当てを外し、放り投げる。言い方は悪いが、目が完全に“行っていた”。そしてレフト前に先制のタイムリー。

 先発のダルビッシュ有(当時日本ハム)は立ち上がり、やや乱れるも、しり上がりに調子を上げているように見えたが、6回二死から陳に2ランを浴び、逆転を許した。1対2のまま敗戦なら3カ国が2勝1敗で並び、失点率で日本が1位という計算もあったが、アジアレベルでの“負け決まり”は誰も望んでいなかった。

 直後の7回、すぐさま反撃。無死満塁から大村三郎ロッテ。サブロー)がスクイズを決め、まず同点。そこから打線が面白いようにつながり、一挙6点。その裏をダルビッシュが締めた後は藤川球児(阪神)、上原浩治(当時巨人)がつなぎ、3戦全勝で北京オリンピック出場を決めた。大会MVPは阿部慎之助(巨人)だった。

写真=BBM
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