週刊ベースボールONLINE

編集部員コラム「Every Day BASEBALL」

“トレードオフ”から伸びた元西武・大崎雄太朗の野球人生

 

11年間の現役生活にピリオドを打った大崎


 トレードオフ――。

 ある目的を達成するために、他方を犠牲にしなければいけない状況を指す経済学用語であるが、今季限りでユニフォームを脱いだ元西武大崎雄太朗は現役時代、この考えに触れたことにより自らの野球人生が延びた。

 2007年、大学・社会人ドラフト6巡目で西武入団。常総学院高、青学大と野球のエリートコースを歩んできたが、プロではなかなか頭角を現すことができなかった。一軍出場は1年目7試合、2年目5試合に終わり、ようやく3年目に75試合に出場して打率.275をマーク。しかし翌年ふたたび28試合の出場のみに終わる。守備でミスをして6月上旬に一軍登録を抹消されると、一軍から声がかからなくなったのだ。

 安定しないプロ野球人生。そこまで打席でホームランも少なからず頭にあった。長打を放ち、打率も残す。完ぺきな打者像を追い求めていた。

 そんなときに目に飛び込んできたのがトレードオフという言葉。もともと他人が話す言葉をメモするのが好きだった大崎。経営者が出演するテレビ番組もよく目にし、印象に残るフレーズを書き残していた。

 トレードオフから着想したのは「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということ。打撃も同様と考えた。長打を捨て、バットを短く持ち、150キロを一発で仕留めるスタイルを突き詰めるようになった。

 5年目の2011年も開幕から二軍暮らし。季節はいつしか夏場を迎え、一軍から遠ざかって1年以上が過ぎていた。そして、チャンスが巡ってきた。8月19日に一軍昇格。翌20日のロッテ戦(QVCマリン)に「七番・DH」でスタメン出場すると、“新スタイル”で臨み、3安打をマーク。その後、シーズン終了まで一軍に定着し、36試合の出場で打率.306を記録して確かな存在感を発揮した。

「7月に長男も生まれていましたし、野球人生で最も印象深いシーンです。あそこで猛打賞が出なければ、すぐにクビになっていたかもしれません」

 そこから6年、ユニフォームを着続け、今年10月6日、西武から戦力外通告を受けた大崎だがすぐに行動を開始した。ツテを頼ることなく、自らの力で就職活動。そして、第2の人生を決めた。それは自らの野球人生を延命させるきっかとなる言葉を授けてくれた経営者に寄り添うコンサルティング業だ。

文=小林光男 写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング