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背番号物語

【背番号物語】「#1」実力と人気を兼ね備えたチームの“顔”

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

あまりにも偉大な“ビッグ1”



 どの数字よりも真っ先に数えられる「1」というナンバー。どのチームも、どの選手も、ひたすら1位を追い求めてプレーしている。どの数字よりも明快な目標、と言えるだろう。

 高校野球のエースナンバーでもある背番号「1」だが、プロ野球の「1」で圧倒的な存在感を放つのは、巨人の王貞治だ。早稲田実業で投手だった王は、巨人でも「1」を背負い、一本足打法でホームランを積み上げる。“ビッグ1”と呼ばれ、ピンクレディーの『サウスポー』にも歌われた。

 868本のホームランをはじめ、多くの打撃記録で歴代1位。これほど「1」が似合い、その印象を「1」に残した男はいないだろう。そして多くの選手が、その「1」にあこがれ、目標とした。

 とはいえ、長いプロ野球の歴史において、「1」の顔ぶれは多彩だ。チームごとに、その歴史を簡単に振り返ってみよう。

【12球団主な歴代背番号「1」】
巨人 白石敏男南村不可止(侑広)、王貞治★

阪神 伊賀上良平吉田義男(監督)、オマリー中込伸鳥谷敬

中日 牧野茂高木守道近藤真一福留孝介友永翔太

オリックス 宮武三郎簑田浩二福良淳一後藤光尊中島宏之

ソフトバンク ブレイザー桜井輝秀秋山幸二柴原洋内川聖一

日本ハム 大下剛史広瀬哲朗菅野光夫、SHINJO、斎藤佑樹

ロッテ 伊藤庄七八田正愛甲猛小坂誠清田育宏

DeNA 近藤昭仁山下大輔進藤達哉金城龍彦桑原将志☆(2018〜)

西武 深見安博伊藤光四郎、秋山幸二、佐々木誠栗山巧

広島 白石勝巳、金山次郎古葉毅(竹識)、山崎隆造前田智徳

ヤクルト 井上親一郎若松勉池山隆寛青木宣親山田哲人

楽天 塩川達也岩村明憲松井裕樹
(☆は現役、★は永久欠番)

「1」がつないだ黄金の歴史


西武・秋山幸二


 高木守道や山下大輔ら内野守備の名手たちも目立つが、少数派ながら投手もいる。近鉄の終焉まで永久欠番だった鈴木啓示も投手。「1」が永久欠番となった日本のプロ野球で初めてのケースでもある。王は巨人の助監督、監督としても「1」を着け続けたため、現在では唯一となった王の「1」が永久欠番となったのは退任後の89年だ。傾向が明確なのは、やはりヤクルトだろう。井上親一郎は国鉄の初代主将で、若松勉からは中心打者の背に。まさにチームの“顔”と言えるだろう。

 また、「1」のまま移籍している選手も少なくない。近年ではヤクルトの「1」からメジャー・リーグを経て楽天の「1」になった岩村明憲や、古くは広島の初代である白石勝巳。巨人の白石敏男が移籍を機に改名したもので、プロ野球の創設期から活躍していた名遊撃手が出身地の広島に誕生した新球団に参加したものだ。

 特筆すべきは秋山幸二だ。序章でも触れたが、黄金時代にあった西武で王のイメージから「1」を与えられた秋山は、その王が率いる巨人を日本シリーズで撃破するなど黄金時代を謳歌。低迷するダイエーへ「1」のまま移籍すると、やがて王がダイエーの監督に。王から初代主将に任命されて、黄金時代に引っ張りあげる功績を残す。その後、チームがソフトバンクとなり、王監督の勇退で監督に。チームを3度の優勝、2度の日本一に……。秋山が西武で背負った「1」は、そのイメージ以上に重いものだったのかもしれない。

写真=BBM
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