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トレード物語

【トレード物語30】わずか1年でセ・リーグに戻った高橋慶彦【1990年】

 

近年は少なくなってきたが、プロ野球の長い歴史の中でアッと驚くようなトレードが何度も行われてきた。選手の野球人生を劇的に変えたトレード。週刊ベースボールONLINEで過去の衝撃のトレードを振り返っていく。

正式決定までは長期化


ロッテから阪神へ移籍した高橋


[1990年オフ]
ロッテ・高橋慶彦⇔阪神・遠山昭治

 わずか1年でふたたびセ・リーグへUターンした。1990年、ロッテ・高橋慶彦の阪神移籍はかなり早い段階から話が進んでいた。

 高沢秀昭水上善雄と幹部候補の2人を放出してまで広島から獲得した高橋。一緒にロッテへ来た白武佳久は2ケタ勝利を挙げて大きな戦力となったが、“目玉”であったはずの高橋は100試合に出場して、打率.207と不本意な成績に終わった。

 当初の金田正一監督の構想は高橋に「一番・左翼」を任せることだった。しかし、キャンプ中盤に高橋が左足太ももを痛め、「外野は無理」と金田監督に内野再転向を直訴。だが三塁で出たオープン戦ではいきなり1試合3失策(一つは途中から遊撃に回ってからだったが……)。結局は遊撃へ戻ったが、そこには絶好調の佐藤健一が控えており、高橋は守る場所がなくなってしまった。

 指名打者としては長打力がない。一塁も守らせた。だが、それでは高橋の持ち味が出ない。ロッテとしてもベンチで遊ばせていては本人にも、チームにもマイナスと考え、早くから放出を検討していたのだ。

 もともと気力で打つタイプだけに、フル出場できれば数字は残せるはず。この1年間、ゲームには出なくても試合中に川崎球場の室内練習場で特打ちをやるなど、野球への情熱は衰えなかった。逆に「2000安打だけは何とか」と自ら移籍を望んだほどだった。

「阪神・高橋獲得へ」

 スポーツ新聞にこのような見出しが躍ったのは9月26日だった。ただ、遠山昭治とのトレードが正式に決定したのは11月22日。長期化した原因のひとつは阪神側にあった。10月8日、病気療養中の見掛社長に代わって、三好本社専務が球団社長代行に就任して、実権を握った。三好社長代行はロッテが要求した遠山の放出に難色を示したが、秋季キャンプ出発前の10月20日前後に中村勝広監督とのトップ会談で妥協した。

 ところがロッテ側は遠山プラス、もう1人の選手を要求。金田監督が10月31日のコンベンションで「15日に返事がもらえる」と暴露したことも、阪神の心証を悪くした。

 結局、ロッテ側は高橋の引き取り先が阪神しかないことから、1対1で折れた格好になった。最初、ロッテが優位に立ったトレード交渉だったが、三好社長代行誕生を機に、阪神ペースに移ったのが長期化した原因だった。

「トレード成立のために中村監督もずいぶん骨を折ってくれたらしいし、仕事のあるところに期待されて行くんだからね。自分でも今年は不本意だったし、心機一転、やるしかない」と正式に通告を受けた高橋ははっきりとやる気を口にした。そして、「ロッテでは別にイヤなこともなかったし、パの野球の違いを勉強させてもらった」。わずか1年であったが、“充電”できた成果も口にしていた。

写真=BBM
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