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トレード物語

【トレード物語31】巨人がライバル南海のエースを強奪!【1949年】

 

近年は少なくなってきたが、プロ野球の長い歴史の中でアッと驚くようなトレードが何度も行われてきた。選手の野球人生を劇的に変えたトレード。週刊ベースボールONLINEで過去の衝撃のトレードを振り返っていく。

正式決定までは長期化


巨人へ移籍した1949年、2カ月の出場停止処分もあったが14勝を挙げ優勝に貢献した別所


[1949年3月]
南海・別所昭→巨人

 1947年に30勝で日本最多の47完投をマーク、48年には26勝を挙げて優勝に貢献した南海のエース、別所昭(別所毅彦)。その契約が48年限りで切れた。当時、統一契約書もなく、契約が切れたら、法的には移籍も選手の自由となるが、慣例的には継続して契約を結ぶのが普通だった。

 別所は、金銭的にかなり渋かった南海の条件に不満を募らせていた。ほかの球団の選手の給料も調べ、「ほかより少ない。ジャイアンツの青田(昇。滝川中の後輩)に比べて半分以下だった」とこぼしていた。

 48年の優勝が決まった直後、別所は契約続行に2つ条件を出した。「月給をヨソと同じレベルにしてくれ」「一軒家が欲しい」。当時、スター選手が再契約する際、家や自動車をもらうことが多かった。別所は結婚したばかりだったが、まだ兄の家に間借りで、しかも子どもがもうすぐ生まれるとあって、なんとか一軒家が欲しかったのだ。

 しかし、球団は「おまえだけ特別扱いはできない」と蹴った。

 その後、夫人が銀座の小料理屋を経営していた両親にこの話をすると、店の常連だった巨人の重役につなぎ、一度会おうと伝言をもらって、小料理屋で10月に会った。

 そのときは正式な話し合いではなかったが、シーズンオフの契約更改の場で南海の球団代表と大ゲンカ。「出て行きたければ勝手にしろ」と言われた別所は、そのまま東京に来てその重役に会い、巨人と契約してしまった。

 慌てた南海は、その後、条件をすべてのむと言ってきたが、別所は断り、南海、別所双方が連盟に提訴する騒ぎとなった。連盟は南海に11日間の優先交渉権を与えるが、そこで決まらなければ別所が自由に決めていい、と裁定。結局、話はまとまらず、3月26日に南海との契約が切れるのを待ち、翌27日に巨人と正式契約した。ただ、シーズン中の交渉が問題となり、巨人には罰金、別所には開幕から2カ月の出場停止処分が下されている。

 話には続きがあり、この遺恨もあって緊迫した巨人−南海戦で4月14日、巨人・三原脩監督が、南海の筒井敬三を殴って無期限試合出場停止処分になる騒ぎもあった(「三原ポカリ事件」)。ただ、球界関係者は、騒動で同カードが盛り上がり、集客がアップしたことをひそかに喜んでいたという。

 6月から復帰した別所は14勝9敗。巨人は戦後初優勝を飾り、一方、エースを失った南海は4位に沈んでいる。

 最後に別所の言葉を。

「大阪に行ったら1球1球ヤジられた。ヤジは3、4年続きましたね。人のウワサは75日というけれども、それはウソですよ(苦笑)」

写真=BBM
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