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背番号物語

【背番号物語】「#12」韋駄天のラッキーナンバー

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

盗塁王が多い背番号


巨人柴田勲(左)、南海・広瀬叔功


 プロ野球で初めてのスイッチヒッターとして巨人V9の一番打者を務め、赤い手袋で塁間を駆け回った柴田勲は、もともとはエースとして甲子園を沸かせた投手だった。そのまま投手としてプロ入り。背番号も投手ナンバーの印象が強い「12」に。しかし投手では芽が出ず、1年目の秋に打者転向。その後は通算6度の盗塁王、スイッチヒッターで史上初の通算2000安打を達成することになる。

「12」の物語において、この柴田は象徴的だ。投手が多い「12」だが、10番台の背番号としては野手が多く、エース級の投手が少ない一方で、盗塁王に輝いた韋駄天は多い。

【12球団主な歴代背番号「12」】
巨人 楠安夫、柴田勲、呂明賜鈴木尚広脇谷亮太

阪神 田中義雄後藤次男和田徹福間納坂本誠志郎

中日 石丸藤吉星田次郎岡嶋博治岡本真也田島慎二

オリックス 柴田英治、岡嶋博治、大熊忠義山沖之彦マレーロ

ソフトバンク 別所昭蔭山和夫、広瀬叔功、井上祐二高谷裕亮

日本ハム 斎藤宏富永格郎田中幸雄鎌倉健松本剛

ロッテ 榎原好坂井勝二袴田英利藤田宗一石川歩

DeNA 坂井勝二、関口伊織吉川輝昭小林寛阪口皓亮☆(2018〜)

西武 和田博実郭泰源垣内哲也郭俊麟、ワグナー☆(2018〜)

広島 榊原盛毅田中尊高木宣宏白濱裕太九里亜蓮

ヤクルト 黒岩弘会田照夫矢野和哉斎藤充弘石山泰稚

楽天 小林宏草野大輔、レイ、近藤弘樹☆(2018〜)
(☆は現役)

6日で2投手がノーヒットノーラン


日本ハム・田中幸雄


 のちに柴田は「7」に変更したため、「12」としては5度の盗塁王に輝いた南海の広瀬叔功が最多だ。「12」となった1961年に42盗塁で初の戴冠、以降5年連続で盗塁王に。「12」は韋駄天選手のラッキーナンバーと言えるかもしれない。

 通算盗塁では596盗塁の広瀬が2位、579盗塁の柴田が3位。広瀬の盗塁成功率.829は通算300盗塁以上の選手ではトップだ。58年から2年連続で盗塁王になった中日の岡嶋博治も「12」で、その岡嶋との“盗塁王トレード”で中日へ加入した河野旭輝が「12」を継承、62年に自身5年ぶり、プロ野球で唯一の両リーグ盗塁王に。62年はパ・リーグの盗塁王が広瀬で、両リーグとも盗塁王が「12」というシーズンになった。近年では巨人の“代走のスペシャリスト”鈴木尚広の印象も強い。

 また、創設期の阪神を支えた“カイザー”田中義雄を皮切りに、“ささやき戦術”の元祖で、阪急や西鉄で「12」を着けた日比野武、西鉄の「12」を継承して稲尾和久とバッテリーを組んだ和田博実、ロッテで村田兆治の“愛妻”として活躍し、ともに引退した袴田英利ら、古くから捕手が目立つのも「12」の特徴だ。この傾向は現在も続いている。

 多数派の投手には、ノーヒットノーランにまつわる逸話がある。17年間、2チームで「12」を着けた坂井勝二は通算166勝を残したサブマリンだが、67年には10日間で2度もノーヒットノーランを逃す悲運も。一方で、同じ「12」で来日1年目の1985年に日本ハムを相手にノーヒットノーランを達成したのが西武の郭泰源で、その5日後にノーヒットノーランでチームの名誉挽回を果たしたのが日本ハムの「12」、“オオユキ”田中幸雄だ。

写真=BBM
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