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キセキの魔球

【キセキの魔球26】病に倒れても、指先が忘れない魔球の感覚。ナックルボーラー奇跡の綱渡り

 

2017年6月19日。大家友和は現役引退を発表した。日米を股にかけて活躍した右腕だが、もしナックルボールと出合っていなければ41歳まで野球を続けることはなかっただろう。どこまでも野球と愚直に向き合った大家とキセキの魔球を巡る物語――。

本当のラスト・チャンス


最後の挑戦で、大家に失うものはなかった(写真はホワイトソックス時代)


 2017年2月、ボルティモア・オリオールズのキャンプ地、フロリダ州南西部のサラソタ。南北に細長く延びるバリアー諸島によって、メキシコ湾が仕切られて形成されたサラソタ湾沿いの都市だ。市の中心街には、メジャーのオープン戦が行われるエド・スミス・スタジアムという名の、白壁に囲まれた豪華な球場がある。そこから南に15キロ南下した郊外にあるのが、バック・オニール・コンプレックス。ここにオリオールズが抱える約200人のマイナー・リーガーが集結する。

 メジャー・キャンプは2月中旬に始動し、マイナーのキャンプが始まるのはそれから半月遅れの3月上旬。それに先駆け、有望株のマイナー・リーガーを集めて行われるのがアーリー・キャンプだ。メジャーの紅白戦やオープン戦が始まったばかりの時期は、ピッチャーは1、2回という短いイニングしか投げず、次々と投手が入れ替わるため、この時期に限って投手の頭数が必要になるのだ。アーリー・キャンプに参加する選手は、運が良ければメジャーの試合に呼ばれることもあり、あるいは少人数の時期にコーチ陣にアピールすることもできるだろう。大家が合流したのはこのアーリー・キャンプだった。

 この時点で彼の名前は3Aノーフォーク・タイズのロースターに入っている。ところがそれはあくまで便宜上によるもので、まるきり決定事項ではなかったらしい。

 たとえばオリオールズのメジャー・キャンプに参加した投手は、チームの保護下にある40人枠に入る23人と、招待選手4人の合計27人。メジャーの開幕ロースターを勝ち取るのは多くて12人だ。残り15人のうち、キャンプ中に解雇されなかったほとんどがマイナーにあぶれ落ちてくる。そして、その大多数が3Aに落ち着くのだ。つまり、メジャーと3Aのロースターは、メジャー・キャンプに参加する選手によって大方埋まってしまうことになる。アーリー・キャンプに呼ばれた選手は40人枠に入っていないわけで、ここからメジャーはおろか、3Aのスポットを奪取するのは至難の業である。よって、大家のように、フロリダでまだ1球も投げずに3Aのロースターに名前が入っていることのほうが不自然なのだ。

 キャンプとは、全員が横並びになって、限られたイスを競い合う場所などではなかった。現実には、そもそも競い合うべきイスが一つもなかったりする。そうした状況把握に選手たちは非常に敏感だ。それでもそこにすべてを賭けなければ何も生まれないことも彼らは知っている。

 キャンプ初日、雨上がりのキャッチボールを終えた大家は、日本の報道記者に抱負を聞かれてこう答えている。

「パンツ一丁になれって言われて、なれるかどうかですよ」

 彼には失うものなど何もなかった。今、この時点で最高のナックルボールを投げ込むことがすべてであり、そのためにはメジャー・リーガーだった過去を置き去りにするくらいの覚悟を持って彼はフロリダに入っている。

 たとえば、オリオールズのメジャー・キャンプに参加した投手の平均年齢は27歳。マイナー・キャンプの参加者93人の投手陣の平均はさらに下がって23歳。30代のマイナー・リーガーはたったの2人。40代はもちろん大家友和ただ1人。93人の中でナックルを投げるのは彼だけである。彼の存在は、年齢的にも、またナックルボーラーという特殊性においても極めて異例だったのである。息子ほど年の離れた選手たちと同じフィールドで戦うのだ。しかもこれが彼にとって本当のラスト・チャンス。もうあとがない。だから腹のくくり方がほかの選手とは違っていた。

奇跡的に育ち続けたナックルボール


 GMのダン・デュケットは、オリオールズに着任した5年前、ボストン・レッドソックスGM時代の部下を呼び寄せている。マイナー・リーグの運営部長は大家の顔見知りだし、マイナーの投手部門の責任者は、3Aポータケット・レッドソックス時代にチームメートだったジョン・ワズディンだった。読売ジャイアンツ西武ライオンズでもプレーしたことのある選手だ。

 100人近くの投手を毎日ふるいにかけるのがワズディンの仕事だった。マイナーのオープン戦の期間は2週間しかない。誰を残すのかではなく、誰を切るかが彼の役割でもあるのだ。そうでなければ、3月30日のキャンプ最終日までに選手を絞り込めない。少しでも可能性を秘めているのなら試してみる、あふれる素材から逸材を見つける、それが彼らのやり方だ。そして大家にしてみたら、構図的には、20年前の彼をよく知る者たちの前に、ナックルボーラーとして生まれ変わった自分をさらけ出し、どうぞ評価してくださいと身を差し出す、そんな状況だったのである。

 18年前のメジャー・デビュー当時にチームメートだった内野手のジェフ・フライが現在はエージェントとなり、オリオールズのマイナー・キャンプのコンプレックスに姿を現した。

「オオカがナックルボーラーになっていたなんてまったく知らなかったよ。結局オオカはメジャーで何年投げたの? 10年くらい投げた? そうか、まだ頑張っているんだな。すごいね。ティム(・ウェイクフィールド)に電話していろいろと教えてもらうといいよ。彼ならば協力してくれる。ティムに電話するように、彼に伝えてよ」

 実は、渡米2週間前、大家は病院のベッドの上にいた。オリオールズと契約した2016年の師走、突然、肉体の中枢に異常をきたした。アスリートとして自分を追い込む過程で、臓器の許容範囲を無理やり広げてきたツケが回ってきたのだ。倒れるまでほとんど自覚症状はなかったという。

「もう限界を超えていたのでしょうね。そこまで自分の体を追い込んでしまった」

 年末に治療を受け、年明けに体を動かし始めた。この時点でキャンプインまでの6週間のトレーニング・メニューを組んでいる。治療直後にも関わらず、ナックルの調子は上がっていた。ところがその後、再び容態が悪化し、緊急入院。復帰までの目処は不透明になり、当初の準備計画も白紙に戻った。毎日千回ボールに触れなさいと言われるナックルボーラーが、1日、間を空けただけでも感覚が危うくなるというのに、長期間ボールに触れずにいるのは致命的である。それまで4年間培った感覚がすべて失われてしまうかもしれないのだ。

 ところがこの2週間の入院中、奇跡的にナックルボールは育ち続けていたのである。病床で、彼は究極のイマジネーションの力でナックルボールの感触を保ち続けた。投げないその指先に、ナックルの感触だけは残しておきたかった。課題は、退院後に全身を使って投げたとき、果たしてイマジネーションで保ったと同じフィーリングで投げることができるかどうかだった。もしできれば、トレーニングできなかった2週間の空白を埋めることができる。逆に、そこにしかキャンプインに間に合わせる可能性は残っていなかった。

 退院してから渡米までの2週間で彼は3回投げ込みを行っている。1回目、腕が振り抜きやすくなったと感じた。2回目、さらに強く投げ込み、出力アップ。ナックルの球速を上げていくと、必然的にそれだけ回転しやすくなるが、退院後の投球はほぼ無回転に近い球だった。3回目、さらに投球に安定感が増す。実戦投球でも、ベッドで残した指先のフィーリングと同じ感触でナックルは放たれたのである。まさに、奇跡の綱渡りだ。

 高校時代から彼をよく知るトレーナーの中田佳和氏(ブライトボディー代表)は、その理由を次のように説明している。

「たとえば、小さいときから自転車に乗っていれば、しばらく乗っていなくても、年齢を問わず乗れるでしょうね。一度、感覚を身につけると無意識下でできるようになる。脳神経の仕組みというのは、一度形成されるとなかなか忘れません。大家クンの場合は、ナックルは遊びでやっていたかもしれないけれど、通用するようになったのはここ数年ですよね。それなのに、相当深いところに記憶というか、体験、感情、感覚が、自分の中に落とし込められているのでしょう。これをすることは年齢とともに非常に難しくなってきます。3日前、4日前のことすら関連する何かがないと、覚えていなくても普通ですから」

 もう儀式はいらないのだと、大家は言った。マウンドで集中するための特別な何か、邪念を振り払うためにあえてするしきたり、怠ってはいけない日課。そんなことに強いこだわりを持たなくとも、ごく自然にスーッと集中できる自分がいた。そして、臓器のメンテナンスを受けた彼の肉体は蘇生し、フロリダの最後の挑戦にギリギリ間に合う形でフル充電されていたのである。


続いていく綱渡り


キャンプ中、大家のキャッチボール相手だったサターホワイト(写真はメッツ時代)


 キャンプ始動から7日目、初めて打者相手に投げ込みをした日、デュケットGMがわざわざ大家の視察のためにマイナーのコンプレックスにやって来た。当初は30球の予定が、最終的には45球を投げ込んでいる。真っすぐを投げたのはわずか5球ほどで、それ以外はすべてナックルボールだ。GMは大家に言った。牽制をしっかりやっていったほうがいいな、君のためにフィル・ニークロを呼ぼうと思っているとも。しかし、今後の起用予定については何の話もなく、チーム方針がつかめず、それが大家を不安にさせた。

 キャンプ中、キャッチボールのパートナーだったのがコディー・サターホワイトだった。2016年に阪神タイガースでプレーした助っ人外国人選手である。大家と出会うまで、一度もナックルボールを捕ったことはない。それでも臆せず大家と組み続け、彼のコンディションもつぶさにチェックしている。

「日に日に腕力も上がってきているし、ここの天候にも馴染んできたみたいだね。湿気の多い日本と比べたら、ここはものすごく乾燥しているし、海風もくせ者だよ。ブルペンでは向かい風、マウンドでは追い風、特にナックルは風の影響を受けるだろ。まして打者に投げ込んで、そのリアクションで判断しなきゃいけない球だからね。ナックルは1度も受けたことがないけれど、大丈夫だよ。どう変化するか分からないけれどね。まあ、投げてる本人だって分からない球なんだから」

 アーリー・キャンプに呼ばれたコディーもまた、崖っぷちだった。大家に継いで年齢が3番目に高いのが30歳の彼だ。マイナーで10年間プレーしてきたが、一度もメジャーのマウンドには立てていない。

 3月15日、いよいよマイナーのオープン戦が始まった。初日、大家は3Aの登板予定に組み込まれ、フォートマイヤーズでのミネソタ・ツインズ戦の7回1イニングを投げることになった。マイナーのオープン戦はたった2週間しかない。どう見ても有り余っている選手の数を考えたら、その期間にどれだけ登板機会を得られるかは未知数だ。一つだけ分かっていることは、この瞬間から、ワズディンの切り捨ては始まっている。一つのミスを犯そうものなら、自分からカットされる理由を提供してしまうことになる。

「あと2週間しかないんです。登板機会も限られていますし、もうほとんどの編成の青写真はできていると思います。できてないと逆におかしい。コディーはね、残すと思いますよ。そうなったとき、最後のひと枠をめぐってコディーか僕かのどちらかを選ぶってことになるかもしれない。ジョン(・ワズディン)の仕事は、切るのも仕事ですからね。選ぶんじゃなくて、どんどん切っていかなきゃいけない」

 海風がマウンドの背後から吹き付けていた。まずはこの1イニングが正念場だ。大家は第1球目からギアをトップにあげていた。そして渾身のナックルボールを投げ込む。綱渡りの果てに、奇跡は再び起こるのだろうか。

<次回最終回 12月27日公開予定>

文=山森恵子 写真=Getty Images
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