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週刊ベースボール60周年記念企画

【週ベ60周年記念企画56】『特集 ペナント・レース開幕熱戦号』【1959年5月6日号】

 

2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。

『駒沢球場の新しい人気者』東映の新人・張本勲


表紙は中日森徹


 今回は『1959年5月6日号』。創刊56号で定価30円だ。グラビアページは、開幕したペナントレースの模様を巨人のカード中心に構成しているが、後ろグラビアでは『駒沢球場の新しい人気者』のタイトルで東映の新人・張本勲をピックアップしていた。

 センターカラーは『風雲を呼ぶ鉄腕』と題し、国鉄・金田正一が登場。前年同様、この年も開幕の対巨人戦に先発し、勝利投手となっている。

 本文巻頭は『球界の紳士藤田の宿命〜爆発する打線の陰の一つの顔』。入団3年目の右腕で、1年目から当時でさえ、「藤田は酷使」という声があったほど投げまくっていた巨人の藤田元司である。巨人の投手陣は(実は野手陣もだが)世代交代の時期にあり、水原円裕監督も藤田に頼らざるを得なかったとも言える。

 細身の体でのピッチングは悲壮感も漂っていたといい、野手のエラーにも捕手のサインミスにも絶対に怒らない様から「球界の紳士」の異名を取っていた。

 対談は『真剣勝負のときがきた』。巨人・長嶋茂雄と中日・森徹と大卒2年目のスラッガー2人。長嶋といえば、プレーヤーズコラム『ぼくの日記帖』は突然終了し、この号から『ぼくの雑記帖』として長嶋の立大同期、阪急の本屋敷錦吾が登場した。中断なのか、最終回だったのかは現時点では不明だ。

 パの代表する大打者、西鉄・中西太については『故障と闘うスーパーマン』という気になる記事があった。キャンプ中から右肩痛に苦しみ、開幕から欠場が続いていたようだ。

 それでも明るい性格もあって、開幕戦で勝利後、「俺の出る幕はないな。いよいよ墓場行きや」と言って笑っていたという中西。治療は「レーダー療法」だった。これが何か当時の記事を抜粋しよう。

 一口でいえば、殺人光線による治療である。もともと飛行機のために使う探知機と同じ電磁波を使うもので、この超短波と赤外線の中間に当たる電磁波を使っての治療である。その即効性は大したもので四十肩や五十肩の頑固なものでも一週間くらいで治ると言われる。

 実際には肩ではなく、手首の腱鞘炎。以後、完治することはなかった。

 特別リポートとして『阪神の危機を救う男』という記事もあった。新人・村山実である。オープン戦の巨人戦で1失点完投で脚光を浴び、小山正明に続く第2エースにと期待されていた。田中義雄監督も「直球に威力があるし、スタミナもある。それに落ちるシュートが有効だ。いまは内緒だが、新しい球も研究していてね。一応、フォークのように落下するのだがね」と語っている。村山は当時からフォークを投げていたはずだが、もしかしたらオープン戦では監督の指示で封印していたのかもしれない。

『二軍だより』では巨人の馬場正平投手が登場。身長2メートルの巨漢選手で、とにかく水を飲みまくるらしい。記者に「1日に一升くらい?」と聞かれると、

「えへへ、一升じゃ一回分かな。夏なんかのんだ水で、ユニホームを洗っちゃいますよ」
 と言っていた。「ユニホームを洗えるくらい水を飲みますよ」の意だろう。のちのプロレスラー、ジャイアント馬場の青春時代である。

 今回からではないが、『読者サロン』では「乞う文通」コーナーがある。若い人は知らないかもしれないが、読者が住所を出して、同じ趣味の人との文通を楽しもうというものだ。少なくとも30年くらい前までは、多くの雑誌にあった。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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