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人的補償物語

【人的補償物語07】史上最年少19歳、史上最短2年目で人的補償の当事者となったヤクルト・奥村展征

 

大物選手がFA権を行使して移籍してくる代償として、その大物選手の旧所属球団が自分を指名する――。それは、チームが28人のプロテクトリストから自分を外したから。しかし、それで出場機会が飛躍的に増えるケースもある。人的補償で移籍した印象深い選手を取り上げていく。

移籍で得たチャンスと縁


巨人から人的補償でヤクルトに移籍した奥村


「僕の中では、プロ初安打というのは1年目からの目標だったので、まずはそれを達成できたことはうれしかったです」

 11月20日、都内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、370万円増の950万円でサインした(金額は推定)ヤクルトの奥村展征。ただし、その表情に満足感といったものは感じられなかった。ようやく、プロとして本当の勝負が始まったばかりだったからだ。

 初ヒットを記録したのは、奇しくも巨人戦、場所も東京ドームで、相手投手はエースの菅野智之だった。奥村がプロ野球人生をスタートさせた球団である。日大山形高から2014年ドラフト4位で巨人に入団。1年目は主に二塁手としてイースタン・リーグ公式戦86試合に出場した。

 その年のオフ、思わぬ形で転機が訪れる。FA移籍により相川亮二がヤクルトから入団した。「人的補償が誰になるか」は先輩選手たちの間で大きな関心事となったが、奥村はどこか他人事ととらえていた。それよりも2年目に向けた自主トレに没頭していた。

 それが、まさか――。

 球団に呼ばれた奥村は、人的補償によるヤクルトへの移籍を告げられた。

 19歳、2年目でこの措置により移籍するのは史上最年少、最短となった。周囲に“大人の事情”による不条理な移籍だと、巨人に対して非難の声が上がったのは確かだ。

「移籍を考えていなかったので驚きました。でも、どのチームでもプロの世界で戦えるので」

 これが本人談。奥村はどこまでも前向きだった。

 迎えた4年目の今季、奥村は遊撃のポジションでチャンスをつかんだ。内野の要であり、運動量の多いポジション。「難しくて、正直、自分に向いていないのではと思ったこともある」とこぼした。だが、ヤクルトの二塁には大黒柱の山田哲人が君臨しており、三塁には故障からの復活を目指す川端慎吾がいる。スワローズで最も手薄なポジションが遊撃であり、17年に32試合守った奥村も、有力なレギュラー候補の一人として数えられている。

 勝負の世界で「たられば」は禁物だが、奥村があのまま巨人に残っていたら今、どんな立場だっただろうか。日本を代表する遊撃手・坂本勇人がおり、遊撃手としてここまで実戦経験を積むことはできなかっただろう。

 さらに、シーズン終了後には球団OBの宮本慎也氏がヘッドコーチに就任した。宮本氏と奥村の父・伸一さん(滋賀・甲西高監督)はかつてプリンスホテルでプレーした仲間。プロ入り時、奥村があこがれの選手として名前を挙げていたのがこの宮本氏だった。秋季キャンプで奥村のプレーを見た宮本ヘッドコーチは「(父と)打ち方が似てきた。負けん気は父譲りかな」と評した。

 巡り巡ってつかんだチャンスと、つながった縁。「移籍してよかった」と笑える日を迎えるためには、さらなる奮起が必要だ。プロ5年目となる18年シーズンのプレーに注目したい。

写真=BBM
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