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プロ野球回顧録

10年前の巨人/5年ぶりのリーグVもCSで敗退し日本Sに進めず

 

10年ひと昔と言うが、それだけ年月を重ねればプロ野球のチームも様変わりしてしまう。ここでは年末特別企画として、10年前、2007年のペナントレースを12球団ごとに振り返っていこう。

【2007年度チーム成績】
原辰徳監督
セ・リーグ1位
144試合 80勝 63敗 1分 勝率.559

【BASIC ORDER】
投手 内海哲也(先発)
投手 豊田清(中継ぎ)
投手 上原浩治(抑え)
捕手 阿部慎之助
一塁 李承ヨプ
二塁 木村拓也
三塁 小笠原道大
遊撃 二岡智宏
左翼 谷佳知
中堅 ホリンズ
右翼 高橋由伸

掲げたキーワードは「奪回」


サヨナラで5年ぶりのリーグ優勝を決め、Gナインの手によって原監督が胴上げされた


「この1年間、精いっぱい戦って、粘ってペナントを制した事実は胸を張っていい」

 原辰徳監督はしっかりと前を見据えたまま言葉を発した。10月20日、東京ドーム。リーグ優勝を果たしながら、クライマックスシリーズ第2ステージで、中日の前に3連敗を喫した。最終決戦で、力を発揮できなかったが、2007年の巨人はペナントを堂々と戦い抜いた。

 4年連続V逸から巻き返しを期す原巨人が07年、掲げたキーワードが「奪回」。指揮官は「いい選手はいらない。必要なのは強い選手だ」と訴え続け、肉体と精神の両面でのタフさを求めた。さらに打順を改革。01年に3試合しか経験のなかったトップバッターに高橋由伸を据えた。

 その選手会長がド派手な号砲を鳴らしたのは3月30日、横浜との開幕戦。三浦大輔の初球スライダーを迷わず振り抜き、右中間席にたたき込む。62年の阪急・衆樹資宏以来45年ぶりでプロ野球2人目となる、開幕戦初回表の先頭打者初球弾だった。高橋由は7月26日の広島戦(東京ドーム)ではプロ野球新記録となる9本目の初回先頭弾を放った。

 二番には谷佳知が入った。職人技の広角打法は、待球やバント、進塁打、エンドランなど制約が多くなる打順でも色あせることなく、開幕から安打を量産。ここ数年の課題だった一、二番が固定され、巨人は勢いに乗った。

 主に三番を任された小笠原道大も“FAで移籍してきた選手は活躍しない”というジンクスを打ち破り、3割30本塁打をマークして2年連続MVP。フルスイングで他球団の脅威となり、真摯に練習に取り組む姿勢など、数字以外の貢献度も高かった。

クローザー上原が大活躍


07年、上原は32セーブをマークした


 原監督の投手陣での大改革はクローザー・上原浩治を誕生させたことだ。V逸の最大要因は抑えの不在と言われていたポジションにエースを抜擢。07年の上原はオフの自主トレ中に左ふくらはぎに張りを訴え、06年痛めた右ヒジの不安も消えないことからキャンプは二軍スタート。さらに両太ももを痛めて、開幕には間に合わず。そこで上原を早期回復させるために、原監督はクローザー転向を提案し、上原が受諾したために巨人に新クローザーが生まれた。

 上原がセーブを重ねるごとに、チームは勢いを増した。5月2日の中日戦(ナゴヤドーム)で球団5000勝目の最後を締めてプロ初セーブをマークすると、イニングをまたぐ登板も厭わず、チームの勝利に貢献した。先発陣も高橋尚成、内海哲也のW左腕に07年973日ぶりの勝利を手にした木佐貫洋が奮闘。06年、大失速した交流戦でもチームは15勝9敗と日本ハムに次ぐ2位と好成績を残した。

 7月は投打に調子を崩して8勝14敗と負け越し、中日に首位を明け渡したが、8月に15勝10敗1分けと息を吹き返すと中日、阪神との未曾有の三つ巴の争いに突入。明日なき戦いの中で、「日替わりヒーロー」が飛び出した。

 9月6日の中日戦(ナゴヤドーム)で延長12回に代打で決勝打を放った18歳の高卒ルーキー・坂本勇人や、14日の広島戦(東京ドーム)で起死回生の同点打を放ち、21日の横浜戦(東京ドーム)でプロ1号3ランも放った9年目の苦労人・加藤健、さらに15日の広島戦(同)で07年初先発初勝利を挙げた3年目の野間口貴彦らだ。そして、「勝ったほうが優勝する」と言われた26日の中日戦(東京ドーム)では、脇谷亮太が1号の決勝2ランをライトスタンドへたたき込んだ。

 10月2日のヤクルト戦(東京ドーム)、サヨナラで5年ぶりのリーグVを決めたが、結果的に日本シリーズに進めず。日本一「奪回」は08年以降に持ち越された。

写真=BBM
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