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プロ野球回顧録

10年前の広島/プレーオフ進出の期待も、交流戦惨敗で10年連続Bクラス

 

10年ひと昔と言うが、それだけ年月を重ねればプロ野球のチームも様変わりしてしまう。ここでは年末特別企画として、10年前、2007年のペナントレースを12球団ごとに振り返っていこう。

【2007年度チーム成績】
ブラウン監督
セ・リーグ5位
144試合 60勝 82敗 2分 勝率.423

【BASIC ORDER】
投手 黒田博樹(先発)
投手 横山竜士(中継ぎ)
投手 永川勝浩(抑え)
捕手 石原慶幸
一塁 栗原健太
二塁 東出輝裕
三塁 新井貴浩
遊撃 梵英心
左翼 前田智徳
中堅 アレックス
右翼 嶋重宣

終盤で最下位を免れての5位


黒田は12勝をマークもチームは5位に終わった


 セ・リーグにもプレーオフ制度が導入された2007年。最も期待を持ってシーズンを迎えたのは1998年以降、Bクラスに沈み続けていた広島だったかもしれない。しかし、終わってみれば60勝82敗2分け。Aクラスには程遠く、終盤でようやく最下位を免れての5位に終わった。期待と落胆、誤算とかすかな光明が交錯した07年だった。

 シーズン前に期待をもたらしたのは、エース・黒田博樹の存在。06年オフにFAの権利を取得しながら、それを行使せず残留。ファンのプレーオフ進出への望みをふくらませた。黒田は残留を決めた後、米国で右ヒジを手術。リハビリを経て、3月30日の阪神との開幕戦(京セラドーム)のマウンドに立つと、7回1失点で勝ち投手となった。

 そんなエースの好投を軸に、序盤戦は貯金にも迫る堅実な戦いぶり。投手陣では次代のエース・大竹寛が余裕さえ漂わせるマウンドさばきで4月までに3勝、打では廣瀬純天谷宗一郎ら飛躍が期待された中堅が躍動した。そして4月下旬から5月にかけて、4連勝を3度記録。21勝21敗、勝率5割の3位で交流戦に突入した。

 プレーオフ進出なるか――。淡い期待は、交流戦で見事に打ち砕かれた。5勝18敗1分け、勝率わずか.217。一気に借金がふくれ上がった。5勝のうち、先発投手の白星は黒田の3勝だけ。大竹も交流戦に入ると調子を崩し、好投しても守備が足を引っ張るという悪循環で、交流戦4試合で0勝3敗。中継ぎ陣も失点を重ね、クローザーの永川勝浩も2敗2セーブと先発、救援ともに総崩れとなった。打撃陣も不調にあえいだ。交流戦24試合で5点以上を奪ったのはたった3度だった。

オフには黒田、新井がFA移籍


四番を担っていた新井はオフにはFAで阪神へ


 交流戦が終わっても、「借金街道」をひた走っていた。7月1日の巨人戦(広島)から7連敗で借金は一気に20の大台に達して最下位転落。球宴を迎える前の、シーズン半ばにして広島は早くも戦う目的を失ってしまった。

 大量失点を繰り返し、接戦でも競り負けた交流戦以降の戦いを象徴する試合が、8月5日の阪神戦(広島)だ。4点を追う4回一死後、三番・栗原健太からの4連打で1点を返し、打席には代打の喜田剛。代わったばかりの2番手・渡辺亮から押し出しの四球を選び1点追加。そんな押せ押せムードに、続く代打の嶋重宣は二塁併殺に倒れ、そのまま2対4で敗れた。

 ブラウン監督は試合後、「喜田はあの投手を見下ろしていた。(次の)嶋対投手なら、ウチにアドバンテージがあった」と嘆いた。10年連続Bクラスの沈滞ムードを一掃することは簡単ではないかもしれない。大事な場面できっちり仕事ができる「勝者の精神力」を持つことが当時の広島には必要だった。

 ただ、進化を果たした若手はいた。その一人が栗原健太だ。初の全試合出場を達成し、打率.310、25本塁打、92打点をマーク。主に三、五、六番を任されて結果を残した。さらに、9月1日の中日戦(広島)では、前田智徳が広島生え抜きとして4人目の通算2000安打達成。このような明るいニュースはあった。

 しかし、オフには不動の四番打者・新井貴浩がFA宣言して阪神への移籍が決定。黒田もFAでメジャー・リーグへと旅立った。広島が新黄金時代に突入するのは15年に、この2人が復帰してからだった。

写真=BBM
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