背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 “生涯一捕手”の象徴
「ワシは人知れず咲く月見草や」
25年にわたって「19」を背負い続けた野村克也の名言だ。監督も兼ねていた南海を追われ、“生涯一捕手”を掲げて
ロッテ、
西武と渡り歩いた。多彩な好投手が並ぶ「19」の系譜で、“月見草”は独特の光を放っている。
のちに野村は
楽天の監督となり、およそ四半世紀ぶりに「19」を着けたため、通算では29年も「19」だったことになる。野村の「19」を継承するような捕手は現れていないが、それ以前には、戦前から2リーグ分立期にかけて活躍した頭脳派の“闘将”
土井垣武が
阪神と毎日で「19」の捕手だった。
大洋の
江尻亮も数少ない野手だが、入団時は投手。系譜を見ても圧倒的に多いのは投手で、野村と同時期にも東映に“怪童”
尾崎行雄がいた。
【12球団主な歴代背番号「19」】
巨人 水原茂、
多田文久三、
小林繁、
上原浩治、
菅野智之☆
阪神
西村幸生、
藤井栄治、小林繁、
中西清起、
藤浪晋太郎☆
中日 松尾幸造、
大矢根博臣、中山義朗(俊丈)、
中山裕章、
吉見一起☆
オリックス 丸尾千年次、
天保義夫、
秋本祐作、
高木晃次、
金子千尋☆
ソフトバンク 神田武夫、野村克也、
山内孝徳、
永井智浩、
森福允彦 日本ハム 野口正明、
米川泰夫、尾崎行雄、
間柴茂有、厚沢(厚澤)和幸
ロッテ 土井垣武、
小野正一、野村克也、
井辺康二、
唐川侑己☆
DeNA 林直明、江尻亮、中山裕章、
小桧山雅仁、
山崎康晃☆
西武 野口正明、
山本秀一、野村克也、
森慎二、
齊藤大将☆(2018〜)
広島 広岡富夫、
大石弥太郎、
新美敏、
長谷川昌幸、
野村祐輔☆
ヤクルト 松田清、
浅野啓司、
梶間健一、
山部太、
石川雅規☆
楽天
川尻哲郎、野村克也(監督)、
藤平尚真☆
(☆は現役)
波乱万丈の投手たち
阪神・小林繁
巨人の菅野智之を筆頭に、近年は「18」からエースナンバーの座を奪う勢いを見せている「19」だが、その歴史を振り返ると、「18」に勝るとも劣らない好投手が並ぶ。ただ、エリートの「18」とは対照的に、波乱万丈だ。
巨人の系譜をさかのぼってみる。まずは“雑草魂”の上原浩治。「19歳の浪人時代を忘れないため」に着け、メジャーでも一貫して「19」を背負い続ける。上原は1年目の1999年から投手3冠、新人王に輝いたが、この年、旋風を巻き起こしたのはパ・リーグの最多勝で新人王にもなった西武の「18」
松坂大輔。だが、数字では上原に軍配が上がる。
さらにさかのぼると、“悲劇のサイドハンド”小林繁。移籍した阪神でも「19」を着けて、2球団で沢村賞に輝いた。そして、巨人の初代は水原茂。投手ではないが、42年にはMVPにも。シベリア抑留から生還し、監督として黄金時代を築いた名将でもある。
草創期の「19」は個性的で、悲劇の色も濃い。阪神の2代目は西村幸生。主戦投手ではなく、“酒仙投手”と呼ばれた豪傑だ。巨人、特に同郷の
沢村栄治に負けん気を燃やして37年の年度優勝決定戦で巨人を破る原動力となったが、わずか3年で退団し、のちに応召、戦死する。
南海の2代目は神田武夫。結核と闘い、時にはマウンドで吐血しながらも、応召で選手が次々と離脱していくチームで41年からの2年間、113試合、716回1/3を投げまくる。そして43年、病死した。のちに神田の「19」を継承したのが野村だ。
月見草のはかない美しさも、雑草のしたたかさも、「19」の系譜を象徴的に彩っている。
写真=BBM