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プロ野球回顧録

10年前のソフトバンク/本来の攻撃野球が影を潜め4年連続V逸

 

10年ひと昔と言うが、それだけ年月を重ねればプロ野球のチームも様変わりしてしまう。ここでは年末特別企画として、10年前、2007年のペナントレースを12球団ごとに振り返っていこう。

【2007年度チーム成績】
王貞治監督
パ・リーグ3位
144試合 73勝 66敗 5分 勝率.525

【BASIC ORDER】
投手 杉内俊哉(先発)
投手 水田章雄(中継ぎ)
投手 馬原孝浩(抑え)
捕手 田上秀則
一塁 松中信彦
二塁 本多雄一
三塁 小久保裕紀
遊撃 川崎宗則
左翼 多村仁
中堅 大村直之
右翼 柴原洋
DH ブライアン・ブキャナン

和製大砲トリオで100本塁打の目算も……


4年連続で頂点に立つことができなかった王ホークス


「4度目の正直」はかなわなかった。ロッテとのクライマックスシリーズ(CS)第1ステージに1勝2敗で敗れ、2007年もVに手が届かないまま終了した。04年に導入されたプレーオフを含めると、4年連続でポストシーズン敗退。栄光をつかむことなく、失意の1年が幕を閉じた。

 開幕前の戦力構想が大きく狂わせられた。07年はFA移籍で小久保裕紀が4年ぶりに復帰。横浜からトレードで多村仁を獲得し、打撃力アップを図った。王貞治監督は新加入の2人に主砲・松中信彦を合わせた和製大砲トリオで100本塁打の期待をかけた。

 だが、結果は小久保が25本というチームトップの数字を残したが、松中は15本、多村は13本にとどまり、3人合わせて計53本塁打。王監督が「今年は戦力が期待どおりに機能しなかった。機能すれば十分な戦力だったけど……」と嘆いたように、当初の見込みから約半分にとどまった本塁打数が計算違いを生んだ。

 特に響いたのは松中の不振だ。06年は1999年の定位置獲得後、自己ワーストの19本塁打に終わったが、07年はその数字すら下回る15本。打率も.266に低迷するなど、主軸としての働きができなかった。不動だった四番の座も8月8日の西武戦(グッドウィル)で約4年ぶりにはく奪され、9月20日に右ふくらはぎ痛の影響で6年ぶりの登録抹消も経験した。

 投手陣も故障に苦しんだ影響で計算が立たなかった。リーグトップのチーム防御率3.18を記録しながら、トータルでは結果を残せなかった。先発陣の最大の誤算は、開幕投手を務めたエース・斉藤和巳。右肩筋疲労に悩まされ、中10日の間隔で登録→先発→抹消というサイクルを抜け出せなかった。
 

先発でローテを守ったのは2人のみ


チームトップの15勝をマークした杉内


 新垣渚も左ワキ腹を痛め、約2カ月間の戦線離脱。プロ5年目で自己ワーストの7勝にとどまった。また、ヤクルトから加入したガトームソンは、球界初のドーピング違反で20日間の出場停止を受けた影響もあって5勝止まり。希望枠ルーキーの大隣憲司も春季キャンプで腰痛、シーズン中盤にも左ヒジ痛に悩み、2勝しか挙げられなかった。

 先発陣で年間通してローテを守ったのは、杉内俊哉、和田毅の2人だけ。6月に途中加入したスタンリッジの活躍が数少ない光明だった。

 救援陣も開幕前にセットアッパーの柱と位置付けた藤岡好明柳瀬明宏が本調子とは程遠く、代役を務めた投手も相次いで安定感がなかった。

 そんななか、抜群の安定感を示したのが守護神・馬原孝浩。自己最多の38セーブを挙げて最優秀救援投手のタイトルを獲得。だが、先発がリードを保った後の6、7、8回を任せられる投手がいなかったため、馬原への負担が増大。9月24日の日本ハム戦(札幌ドーム)では4イニングを投げた。結局、馬原はチーム最多の54試合登板を果たした。

 主力に計算が立たなかった一方で、若手の台頭という収穫もあった。2年目の本多雄一は二塁の定位置を獲得し、チームトップの141試合に出場。リーグ2位の34盗塁を記録するなど、成長著しい姿を見せた。

 また、同じ2年目の松田宣浩も自己最多の7本塁打を記録。小久保の故障欠場時には三塁の代役を務め、存在感を示した。

 2006年に胃の全摘手術を受けながら、大病を克服してフルシーズンを戦い抜いた王監督は、CS敗退後のミーティングで08年を「ラストイヤー」の覚悟で戦うことを明言。5年ぶりのV奪回を目指し、ホークス14年目の指揮を執ったが……。

写真=BBM
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