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プロ野球仰天伝説

【プロ野球仰天伝説13】日本球界に革命をもたらした与那嶺要の激しくも安全なスライディング

 

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

やられたらやり返す


与那嶺のスライディング


 日本球界に革命をもたらした、と言われる男だ。

 1951年途中、ハワイから来日し、巨人に入団した与那嶺要。相手のスキを突くクレバーな走塁、相手を吹き飛ばす豪快なスライディング(当時、走塁で野手に向かってのスライディングは皆無だった)、左右に転がすセーフティーバントらは日本球界に衝撃を与え、他球団が対策を練ることで球界全体を大きく成長させたとも言える。

 ただ、“ケンカプレー”と呼ばれると、与那嶺は即座にクビを振る。

「僕はクリスチャンだから、絶対に相手にスパイクの裏(金具)は見せない。ひどいケガはさせないよ。相手を転ばすのもコツがあるの。足の甲を使ってスネを蹴り上げるようにするのね。それとグラブをポンと蹴って、中のボールをこぼれさせるやり方もある。一連の動きのなかでやるから守備妨害も取られない」

 ただ、やられたらやり返す、とは決めていた。気の強さに加え、外国人(外国から来た日本人だが)ということで、なめられたら終わりと思っていたからだ。

 ビーンボールを投げられると、その後、一塁側にバント、わざと投手に捕らせ、ベースカバーに来たところを突き飛ばしたこともある。

与那嶺要(よなみね・かなめ)
1925年6月24日生まれ。米国ハワイ州出身。フェリントン高卒業後、アメフトをやっていたがケガで野球に転向し、ハワイ朝日を経て51年途中巨人入団。54、56、57年に首位打者。57年にはMVPにも輝いた。61年中日に移籍し、62年限りで引退した。中日監督時代の74年にはリーグ優勝も。94年野球殿堂入り。2011年2月28日死去。主なタイトルは首位打者3回、MVP1回。通算成績1219試合、1337安打、82本塁打、482打点、163盗塁、打率.311。

写真=BBM
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