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明大・善波監督が見た大先輩・星野仙一氏

 

1月6日、2018年の練習始動日に報道陣の取材に応じた明大・善波監督は、4日に亡くなった同大学野球部OBである楽天・星野球団副会長を偲んだ


 1月6日の早朝、関係者からの電話に明大・善波達也監督は言葉を失った。楽天・星野仙一球団副会長の突然の訃報。星野氏が大学4年間を過ごした明大は、この日が新年の始動日。練習前には黙とうをささげた。

「明治にとっても、野球界にとっても残念なニュース。我々にも知らされていなかった。重い初日になってしまった」

 明大は今年3月、アメリカ・アリゾナでキャンプを行うが、宿泊先は星野氏のネットワークで手配。OBとして、いつも母校を気にかけ、現役部員への支援も欠かさなかったという。

 善波監督が最も印象に残るシーンは2008年の監督就任直後だった。その配慮は忘れない。

「お前の思うようなチーム作りをしろ! 長老がたくさんいるから、何か言われたら『星野から好きにやれ! と言われた』と言えばいい」

 歴史と伝統を誇る名門野球部を率いるにあたり「心強いお言葉だった」と善波監督は振り返り「もちろん、その言葉は使えないですけど……」と付け加えた。

 理想の監督像でもあった。「選手、グラウンドに対して熱がある姿、それくらい本気で取り組め、と」。善波監督は明大では背番号30(東京六大学では監督は30で固定)を着けるが、3年率いた侍ジャパン大学代表では「77」を背負った。尊敬する星野氏を意識した数字(中日阪神、楽天監督時代の背番号)である。

「着けても良いですか? と確認すると、真面目な顔をしながらも、ちょっとうれしそうに『ええぞ!』と。表の星野さんと、裏の星野さんがあった。会うとピリッとしますが、とても温かい方。一言一言に重み、優しさが含まれている」

 年に1回は食事をする機会があった。最後に会ったのは昨年11月28日、星野氏の野球殿堂入りパーティー。「(現役時代と同様の)マウンドの姿と一緒の生き様で振る舞われていた」(善波監督)と、体調を崩している様子は一切見せなかったという。祝宴前には「今日は特別だぞ!」と、明大・土屋恵一郎学長との3ショット撮影に応じてくれた。写真は一生の宝物である。

「野球に熱い人で、気遣いできる大先輩の後輩で誇りに思います」(善波監督)

 やや重たいムードとなった練習始動日の取材。指揮官はそんな空気を振り払うかのように、自らこう切り出した。

「あまり落ちていると、上から怒鳴り声が聞こえてくる……。星野さんだけでなく、先輩方が残してくれた明治の財産を受け継いでいかないといけない。新しい気持ちで臨んでいきたい。30年以上も選手権を勝てていないので、それくらいの報告はしたいです」

 善波監督は自身が大学1年だった1981年以来遠ざかる、大学選手権制覇での恩返しを固く誓った。

文=岡本朋祐 写真=BBM
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